ホアキン・フェニックスが演じるナポレオンは、最初の妻ジョゼフィーヌに対して悲痛な叫ぶにも近い台詞を放ちます。

「君のベッドには蛇がいないと教えてくれ」

リドリー・スコットの新作映画『ナポレオン』は、2023年11月23日から(欧州で)公開され、コルシカ出身の小柄な砲兵ナポレオン・ボナパルトと、彼にとって不可欠な革命の未亡人ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの愛憎まみえる不安定な関係を中心に展開する物語です。

本作を鑑賞した際におとずれる驚きの一因は、『グラディエーター』(2000年)や『十字軍』などの壮大な作品、そして『エイリアン』(1979年)や『ブレードランナー』(1982年)のようなど大ヒット作を手がけたリドリー・スコットが、ナポレオン・ボナパルトという人物が擁する英雄的な魅力を全て奪い去るところにあります。この名匠は逆説的に、少し異なるアプローチでこの映画を製作していることにあります。 

スコットは、ナポレオンから神聖さ、栄光、魅力を剥奪する道を選びました。

スコットは、『デュエリスト/決闘者』(1977年)というナポレオン時代を背景にした映画でデビューし、不屈の反逆者や勇敢な戦士たちの監督として知られています。ですが、そんな彼が今回行ったのは、見事なまでの裏切りです。彼は歴史上最も偉大な指導者の一人から、神聖さ、栄光、魅力を剥奪する道を選んだのです。そしてこれを奇妙に見える形でありながらも、実に見事な演出で仕上げているのです。

本作の色彩、光、室内、制服、風景の調和は、『グラディエーター』以来の映像美としての成功と言えます。ですがこの名匠は、ナポレオンを描くにあたり独自の視点を選んだのです。それは、スコットにしかできない手法と言えるでしょう。彼の母国=英国が立ち向かった最大の敵の一人であるナポレオンを、賞賛と同時に非難せずにはいられなかったのでしょう。

napoleon joaquin phenix
sony pictures/apple original films
『ナポレオン』2023年12月1日(金)全国公開 公式サイト

ナポレオンの不安「勝利し続けなければ愛されない」

映画『ナポレオン』は、ナポレオン・ボナパルトとしての人生の初期から「ラ・マルセイエーズ」の最初の音(※)まで私たちを導き、彼の野望が終わったワーテルローまでを描きます。デヴィッド・スカルパによる脚本は非常に特異で、ほぼ不規則な楽譜のようであり、リドリー・スコットは『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)や『エクソダス:神と王』(2014年)で行ったこととは対照的に、中立的でいることができず、敵に取り囲まれたフランスを狂気のサーカスのように描いています。

『ナポレオン』は政治的な映画か? と問われれば、確かに、そしておそらく、スコットの中で“最も政治的”な作品です。無能で欲深い政治(支配)階級によって引き起こされた二十年間の混乱と犠牲に関してを作品全体を通し、一貫して言及しています。しかし同時に、スコットが今まで以上に恋愛メロドラマに専念した映画でもあります。ナポレオンは愛のために、愛の罪のために、または愛によって、そのような存在になったのだと物語は主張しているのです。 

そしてナポレオンは自らの社会的地位、そして勝者であり支配者であること以外に、同輩たちばかりか、貴族出身の妻ジョゼフィーヌも自分の存在を欲することはないこともわかっていたようです。母に支配された小柄なコルシカ出身者というだけでは、彼に望みはありませんでした。が、マレンゴやオーステルリッツ、ワグラムやトゥーロンの戦いの勝者となった彼には、その大きな望みがかなう立場となったのです。

そうして彼の人生全体を通して巻き起こる、嵐のように矛盾に満ちた人生にはこのラブストーリーがいつも根幹に存在していたのです。 

※現フランス国歌。フランス革命の最中である1792年のオーストリア侵攻時、革命義勇兵となったマルセイユ軍が歌った軍歌がもとになっている。この年に軍人ナポレオンはコルシカからマルセイユに移住したとされている。

a person riding a horse in front of a large group of people
KEVIN BAKER

ホアキン・フェニックスの演技が支える、バランスを失った物語 

そしてそんなナポレオンを、ホアキン・フェニックスは完全に自分のものにしているのです。かつてのジョーカー演じたこの俳優は、潮のように変幻自在で、しばしば気まぐれで子どものように利己的であり、一見ニヒリスティックで、巨大な不安に悩まされるキャラクターを見事に演じているのです。

そんな主人公の逆説的な存在として、ヴァネッサ・カービー演じるジョゼフィーヌの存在も光ます。彼女はナポレオンの人格の変化にほぼまるで左右されることなく、自分自身であり続ける…間違いなくこの二人の演技の対比が、補完し合ってこの物語の奥行をぐっと深めてくれるのです。

またスコットは、本作でもニーチェの哲学と結びつけています。偉大な個性の産物として生まれた――それは金と才能ではない――泥と血で染まった歴史としてアプローチしています。またスタンリー・キューブリック監督の1975年の作品、18世紀のアイルランドを舞台に野心に燃える若者の半生を描いた歴史ロマン『バリー・リンドン』のアプローチにも似て、凶悪な指導者や王たちによって使用された暴力にフォーカスを当てています。しかし最終的には、オリバー・ストーン監督による2004年の作品『アレクサンダー』のように全体が不安定で、あまりにも変化が激しく、あまりにも極端で、自分のビジョンに自信過剰すぎるがゆえ、最低限のバランスすら気に留めることがない…そんなアンバランスな人物像でナポレオンは描かれているのです。

a person playing a saxophone
Aidan Monaghan

ひとりの女性に愛されるためだけに作り上げた帝国が終わる瞬間、最も愛されるという皮肉

クラシカルなサウンドトラックも、現在使われているようなロック調のサウンドトラックも、登場人物を舞台上に登場させる過剰な現代性もバランスを欠いています。しかし戦闘シーンにおいては、リドリー・スコットは自らがカメラを持った(監督界の)ナポレオンであることを皆に思い知らせるのです。

そうしてスコットは、ワーテルローの戦いでナポレオン軍を破ったウェリントン侯爵(ルパート・エヴェレットが人を小馬鹿にしたように演じる)、表面的にはナポレオンに服従していたロシア皇帝 アレクサンドル1世(エドワール・フィリポナ)、2番目の妻マリー=ルイーザの父であるオーストリア皇帝フランシス1世(マイルス・ジャップ)、さらにパリで悩まされる多くのヘビ(政敵)たちよりも、ナポレオンをより巧妙な光の中で際立たせます。スコットは本作で、戦場や講和条約、彼を讃える彫刻、そして輝かしい記念碑の背後にあるものを見せることにしたのです。

映画『ナポレオン』は、制御不能な意志に支配された男の物語であり、征服の野心に支配された男の物語です。愛を乞うた貴婦人たちへの想いが、国全体に影響を与えてしまいます。「私は君たちなしでは何も価値のない獣だ」と、ナポレオンはジョゼフィーヌに宣言します。ですが皮肉なことに、彼女を征服するためだけに彼がつくり上げた帝国が終焉を迎えた瞬間(とき)、彼女は彼を最も愛することになるのでした…。

※この記事は抄訳です 

Translation: Wakapedia
Edit: Keiichi Koyama 

From: Esquire IT