今年、2019年でデュー20周年を迎えるBritney Spears(ブリトニー・スピアーズ)。

 そう、いまから20年前の1999年1月12日に、ブリトニー・スピアーズはデビューアルバム『...Baby One More Time』をリリースすることで、モノカルチャー(文脈によって異なりますが、例えば「金を稼ぐ」というひとつの目的のために、皆が突っ走るような文化)全盛の時代における、最後の集中型メガトレンドをつくり出しました。

 このアルバムのタイトルトラックにおける初めの3曲には、聞けばそれとわかる『ジョーズ』の不吉なテーマ曲的な明白なメッセージが込められています。

 それは、「純粋なポップ・ミュージックへの回帰しましょう」と聴こえてくるのです。そして、この当時には、誰もがポップ・ミュージックを楽しむことが許されていたのです。この曲やアルバムは、魅力にあふれていただけではなく、より無邪気な時代からの甘くセクシーな転換点でもありました。

 そうして20年が経った今、世も末という状況だからこそ、私たちはあのころの健全さにすがりつく必要があるのです。こんな世の中になるとは、当時の私たちには知る由もなかったことでしょう。

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Britney Spears - ...Baby One More Time (Official Video)
Britney Spears - ...Baby One More Time (Official Video) thumnail
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 1998年後半、ポップチャートは混沌としていました。

 90年代半ばに大流行し、JODECI(ジョデシィ)やGinuwine(ジニュワイン)といったスターを生んだR&Bの人気は衰えかけていました。ポップラジオ向けには、より風変わりなバンドたちが曲をつくっており、当時はSemisonic(セミソニック)の『Closing Time』や、Fastball(ファストボール)の『The Way』、New Radicals(ニュー・ラディカルズ)の『You Get What You Give』などの時代でした。

 わずかにいた若手の女性ポップシンガーたちは、あどけなく純粋なイメージを押し出す傾向にあり、Jennifer Paige(ジェニファー・ペイジ)の『Crush』、Merril Bainbridge(メリル・ベインブリッジ)の『Mouth』、Donna Lewis(ドナ・ルイス)の『I Love You Always Forever』といった曲は、クリスチャン・ラジオ局から流れてきても不思議ではないものでした。

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RCA


 ビルボードチャートがこれほど雑然としていたのは、1982年以来のこと。当時はDuran Duran(デュラン・デュラン)やThe Human League(ヒューマン・リーグ)がブレイクする直前で、トップ10にはJuice Newton(ジュース・ニュートン)やDan Fogelberg(ダン・フォーゲルバーグ)、映画『炎のランナー』のテーマ曲などゴチャゴチャでした。何か新しいものが、誕生しようとしていたときだったのです。そしてMTVが、その火付け役になろうとしてた時代になります。 
 
 ブリトニーが初めて『トータル・リクエスト・ライブ』(MTVで放送されていたリクエストPV番組)に出演したとき、この記事の筆者Dave Holmes(デイブ・ホルムズ)は現場に立っていました。

 そんな彼に言わせれば、「あれは出演どころか侵略ともいうべきもの」ということなのです。

 「ブリトニー・スピアーズ」という名前は、以前から★NSYNC(イン・シンク)のファンフォーラムで話題になっていたのです。彼女はジャスティン・ティンバーレイクのガールフレンドと噂されており、このグループの初の北米ツアーで、オープニングアクトを務めていたからです。

 ですが、あのデビューシングルがリリースされるやいなや、ブリトニーが舞台に上がるだけではなく、真のスターとなったわけです。彼女はMTVのスタジオを自らの独壇場としたわけです。

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TRL's first lady: Britney Spears! (All Appearances)
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 米MTVが放送していたリクエストPV番組『トータル・リクエスト・ライブ』が始まった当時は、流されていたほとんどのポップソングはボーイズグループのもので、特にBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)が人気でした(これにイン・シンクと98ディグリーズが続き、それから名前は思い出せないもののイングランド出身のB級ボーイズグループたちがいました)。

 『I Want It That Way』(バックストリート・ボーイズ)と『I Want You Back』(イン・シンク)は、いずれもスウェーデン生まれのポップ・ジーニアスことMax Martin(マックス・マーティン)の作品で、これからの時代を担うヒット曲が生まれることは明白に予想できました。

 しかし、1つだけ問題がありました。

 それはどちらの曲も、ボーイズグループが歌っていたことで、ハイスクール世代の男性たちの支持を得られていなかったのです。というのも、彼らにはクリアで厳格なルールがあり、それは「男性アイドル、特にダンスをするような男たちが歌うようなポップ・ミュージックを楽しむことは許されない」というものだったのです。米国の若い男性たちは、自らの男らしさが疑問視されることを恐れ、Korn(コーン)やLimp Bizkit(リンプ・ビズキット)のようなニュー・メタルに視線を向けていました。

 ですが、誰もが心の中では…実は良質なポップソングを求めていたのです。

 そして、そんな彼らにとってブリトニー・スピアーズのへそ出しルックスこそ、「ポップ・ミュージックを楽しむための入口」ということでブレークしたわけです。そこで男らしさが傷つくことを恐れていた男の子たちも、「彼女がとても可愛いから、このビデオを観てるんだ」とでも言えば、もっともらしい言い訳となり、その後、ウォークマンで繰り返し聞いていようと、それは他の人にとってはどうでもいいことでしたので…。 

音楽に対してもっとも臆病で
傷つきやすい男の子たちが、
少なくとも部分的にはブリトニーを支持し、
もはやポップ・ミュージックの支配を
邪魔するものは何も無かった


 ニュー・メタルは、リンプ・ビズキットの『Chocolate Starfish and the Hot-Dog Flavored Water』が発売されたころには失速し始め、ポップ・ミュージックが爆発的人気となりました。その一方で、バックストリート・ボーイズやイン・シンク、ブリトニー・スピアーズなどのアルバムはその後の2年間、いずれも発売初週から100万枚以上を売り上げていたのです。

 2001年にはTV番組『アメリカン・アイドル』が始まり、その数年後にはJustin Bieber(ジャスティン・ビーバー)が初めてのYouTube動画を投稿しました。

 また、マックス・マーティンが初期に手がけたRobyn(ロビン)は、静かにファン層を広げていきました。ポップ・ミュージックはその後も好調を維持しますが、P.O.D.などのニュー・メタルの人気に関しては衰えを見せてくるのです。

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Rolling Stone


 ブリトニーにはカリスマ性やユニークさ、それに加えて度胸も…それ以前に才能もありました。ボーカリストとしては、Christina Aguilera(クリスティーナ・アギレラ)の水準ではありませんでしたが、クリスティーナのように耳障りな高音になってしまう恐れもありませんでした。

 ブリトニーの声はより親密で、鼻にかかったような気だるいもの。「受話器の向こうにいる気心の知れた友人の声」とも言えるものでした。デビューシングル『...Baby One More Time』は、当時の文化的潮流に完璧なほどマッチした曲でしたし、『You Drive Me Crazy』はMelissa Joan Hart(メリッサ・ジョーン・ハート)とAdrian Grenier(エイドリアン・グレニアー)のラブコメ『DRIVE ME CRAZY / ニコルに夢中』のタイトル曲になっていてもおかしくはなかったことでしょう。

 『Soda Pop』の中では、Mikey Bassie(マイキー・バッシー)がサードウェーブスカ以降で最も穏やかでラジオフレンドリーなトースティング(リズムに合わせて話したり歌ったりする行為)を披露しています。さらに10曲目には、その時代性をストレートに表現した『E-Mail My Heart』という曲もありました。 
  
 彼女のボーカルや振り付け、メディアツアーには成熟したプロフェッショナズムがあったかもしれません…ですが、「こういったことに対して、彼女はあまりに若すぎるのではないか…」という心配も当時ありました。このような心配はもちろん温情主義的ですが、根拠がないものでもありません。というのも、同じ若手のポップスターでも、女性は男性とはまったく違うレベルで耐え難いほどの詮索の目にさらされるものですから…。

 皆さんはイン・シンクのJCシャゼイ(ジョシュア・スコット・シャゼイ)の私生活での恋愛に関して、どのくらいご存知でしたか? また、バックストリート・ボーイズのNick Carter(ニック・カーター)が当時着ていた服を覚えていますか?

 ブリトニーはチャートの常連だったかもしれません。ですが、彼女の2倍ほどの齢の女性からでも、気が狂うほど徹底的な詮索の目が彼女に向けられていたのです。彼女にとって、おそらく記憶から抹消したいはずの2006年(ブリトニーが様々な奇行を繰り返した年)のような日々が訪れるであろうことは、実は1999年の時点で十分に予想できたことだったのです。 

 また、『...Baby One More Time』の「…」の意味にも注目すべきです。

 ここには「hit me」という言葉を省略されており、それが大した問題にならなかったのは“プロモーションの奇跡”とも言うべきことでしょう。女性ボーカルグループのTLCは、DVをほのめかすようなこの表現を見て、この曲を歌うことを断ったそうです。

 シンガーがはっきりと「hit me(私をぶって)」と求めるようなポップソングは、それを歌うのがマイナーな女性歌手であっても、かなりマイナスな注目を浴びてしまうことなので…。

 さらに、当時時の説明はふざけたものでした。「基本的には、『合図をちょうだい』という意味です」とブリトニーは1999年に語っています。当時の若者たちが、「hit me」という言葉でそんな感情を表現したかは定かではありませんが...。

 それから数年後、この話に後日談がありました。

 当時28歳だったスウェーデン人プロデューサーのマックス・マーティンは、「hit me」は「テキストメッセージを送って! もしくは、電話して!を意味する米ティーンのスラングだ」と認識していたと言い、そして他に音節には1つの単語もなかったため、この「hit」を使ったということなのです。確かに、「text」や「call」では音節が多くなってしまうからでしょうね…。 
 

 

 いずれにせよ、もしこの曲が「Text Me Baby One More Time」のようなタイトルであれば、20年後に私たちがその曲について語っている可能性はゼロに近いことでしょう。彼女が何を意味していたとしても、ブリトニーは20年前の私たちに衝撃を与えたのは事実です。そしてそれは、今でもキスのような余韻を残しているのです…。 
 
 
From Esquire US
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。


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