エルトン・ジョンが、社会主義者でないことは誰もがわかっていることでしょう。
彼は英国でナイトの称号を授与されていますし、ロイヤルファミリーとも付き合いがあり、純資産額は4億5000万ドル以上(約500億円)とも言われています。…とは言うものの、彼が50年近くにおよぶキャリアの中で頻繁に歌ってきたコンサートの定番曲の1つ、『Burn Down The Mission』をこの時代(民主党が共産主義政党の価値観を支持し、富裕層がエリート校に子どもを送り込むための賄賂で逮捕されるような時代です)に聞くと、社会主義者の賛美歌のようにも思えることは否めないでしょう。
馴染みがない人のために説明すると、この曲はジョンの1970年のアルバム『Tumbleweed Collection』に収録された壮大なポップソングで、「ある英雄が自らの家族を生き延びさせるために金持ちの家に火を放つ」という内容の歌詞になります。
そして、「Behind four walls of stone the rich man sleep(四方を囲む石壁の向こうに金持ちは眠っている)」とジョンは歌います。さらに、「It's time we put the flame torch to their keep(今こそ燃え盛る松明を彼らの本丸に投げ込むときだ)」と…。
その後、サビは次のように続いていきます…。
***
Burn down the mission(布教本部を焼き落とせ)
If we're gonna stay alive(生き続けるつもりなら)
Watch the black smoke fly to heaven(見よ 黒い煙が天国へ昇り)
See the red flame light the sky.(赤い炎が空を照らす様子を)
***
この歌には歓喜と悲哀の両方があります…と言うのも、火を放ったこの英雄は自らの妻の前で捕らえられてしまうのです。
2019年3月上旬にジョンは、ブルックリンのバークレイズ・センターで「フェアウェル・イエロー・ブリック・ロード・ツアー」のコンサートを2日間にわたって開催しました。そして、このときの24曲のセットリストの中にも、『Burn Down The Mission』は含まれていました。
彼はこの曲を10分間もある手の込んだアレンジで披露し、多くの観客を立ち上がらせました。しかし、彼らの多くが、まさにジョンが歌う「石壁に囲まれた邸宅に住むような富裕層」の方たちではないか…と思わせる感もあります。
この歌詞の内容を反芻してみると、250ドル(約2万7750円)のチケットを買う余裕のある人々が席を立ち上がり、ジョンと一緒にこの曲を熱唱する様子は、少々奇妙なことにも思えます。ですが、これこそがジョンの音楽の特徴でもあります。
彼の音楽には、ちょっとした矛盾があるのです。
それは、「この歌は社会主義をテーマにしている」というような感情を呼び起こすのに十分なほど具体的でありつつも、多様な解釈を受け入れるだけの曖昧さもあるのです。あるいは、少なくとも本能的な喜びをもたらすという側面も感じることができるでしょう。
『Burn Down The Mission』の歌詞を書いたのはジョン本人ではなく、作詞家のバーニー・トーピンです。
実はトービンは『Your Song』から『Bennie and the Jets』まで、ジョンの70年代を代表するほとんどの曲の歌詞を書いています。トーピンが歌詞を書けば、ジョンがすぐさま作曲し、ときには数分で曲ができたという有名なエピソードもあります(ジョンが真の音楽の天才であることの証拠です)。
具体性と曖昧さという矛盾は、7枚のアルバムが連続でチャートの首位に立った1970年代のジョンの作品の主な魅力となっています。
例えば『Burn Down the Mission』は、時代が変われば「社会主義者の賛美歌」とは思えなかったことでしょう。この曲はレーガン時代の絶頂期においては、素晴らしいポップソングの1つに過ぎませんでした。実際ジョンは、シドニーのオペラハウスでこの曲を演奏したとき、ウィッグと18世紀風のコスチュームで着飾っていました。時代とステージでの演出が、この曲にまったく新たな意味を与えるのです。
彼の音楽の魅力は結局、この具体性と曖昧さという矛盾にあります。
これによってリスナーは、自らのあらゆる感情を彼の音楽に重ねることができるわけです。人によって、それは社会主義への思いかもしれません。ですが、私の場合はよりそれは個人的なものとも言えるのです。
エルトン・ジョンのアルバムを初めて手にすることになったのは、私が14歳の高校1年生のときでした。当時の私は、アメフトのプレー中に脚を骨折したばかりでした。
このアルバム『エルトン・ジョン・グレイテスト・ヒッツ Vol.2』を、ここで「手にすることになった」と表現したのは、私がこのアルバムを買ったわけでも借りたわけでも、あるいは盗んだわけでもなかったからです…。
このCDは、たまたま見つけて母の車の中で聞いていたものでした。彼女は当時、足を引きずる私を学校やリハビリ、アメフトの試合(サイドライン際で松葉杖をついていただけでしたが)にクルマでおくってくれていました。
当時は誰もが、『Cotton Eye Joe』や『Roll To Me』のような流行りの曲を聞いていたものでしたが、私の成長期のサウンドトラックとなったのはジョンの『Levon』や『The Bitch is Back』といった曲となったわけです。
ギブスと母親のクルマに閉じこめられたティーンネイジャーの私にとって、ジョンの曲は逃げ道となっていたのです。
ですから、ジョンがバークレイズ・センターで『Levon』(トーピンはかつてこの曲について「父親の支配から逃げ出したい男についての曲」と表現していました)を演奏したときは、当時に戻ったかのような気持ちでした。この曲を今ライブで聞いても、1995年と同様に素晴らしく、1971年のリリース当時にも引けを取らない演奏だったのではないかと思えます。
あれから24年が経ち、私の脚は回復しました。ですが、母は私にアメフトをプレーさせたことをいまだに嘆いています。現在の私がエルトン・ジョンの音楽を分かち合うのは、生後5カ月の一番下の娘のエレインです。
私の腕の中に抱いているとき、彼女はどういうわけか他ならぬジョンの音楽がかかるときだけ眠りに落ちるのです。なぜかも、いつ気づいたのかも…はっきりしません。が、『Someone Saved My Life Tonight』は彼女に睡魔をもたらすようです。
こうして私は、ジョンの音楽と新たな関係を築いています。彼の曲は私と娘にとって重要なものとなっているわけです。
このため、バークレイズ・センターでジョンが『Someone Saved My Life Tonight』を演奏すると、私は娘を揺すって寝かせている最近の日々に引き戻されました。そして、この曲(表向きは、ある女性との関係を終わらせる男性についての歌です)は私の中では今や、毎晩私を救ってくれるこの小さな女の子にものになっています。
バークレイズ・センターに集まった数千人の観客は、彼の曲の数々に私と同じような親しみを感じているように思えました。71歳になったジョンですが、数時間にわたってピアノをエネルギッシュに弾き、自らのほとんどすべてのヒット曲を観客たちに聴かせ、人として、あるいはアーティストとしての自らの成長について語ってくれました(コンサート中には、彼がガールフレンドのルーシー・ボイトンと来場していたラミ・マレックに言及し、その後にクイーンに1曲を捧げる場面もありました)。
また、彼が「レコードや8トラック、カセット、CD、コンサートのチケットを買ってくれてありがとう」と私たちに感謝と親しみを示す一幕もありました。ジョンは老け込みつつある、ロックのアイコンなんかではありません。足を引きずってステージに立ち、往年のヒット曲で荒稼ぎするようなアーティストではないのです。彼のライブパフォーマンスは、あらゆる点で40年前と変わらず楽しめるように思えたのです…。
結局のところ、彼が何について歌っているかは重要ではありません。
重要なことは、250ドル(約2万7750円)のチケットを買える人にとっても、母親と車に乗っている息子にとっても、夜明け前の暗いベッドルームで腕に抱く娘を寝かせようとしている父親にとっても、彼の歌が共感を呼ぶものであるということです。
そして、多くの偉大なアーティストと同じく、彼自身もこのことを理解しているようです。
From Esquire US
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です