「正直、『クリエイティブ』という言葉は好きじゃないんだ…」と、自らのオフィスのソファに座るウィロ・ペロン氏は身をよじるようにして言いました。

「『クリエイティブ』という言葉は、むやみに使われすぎ。最近では誰もが『クリエイティブ・ディレクター』で、何もかもが『クリエイティブ』なんですから…」と続けて話しました。確かにうなずいてしまいます…。 
 
 私たちが訪れているペロン氏の複合型スタジオは、ロサンゼルスのシルバーレイクにあります。「誰もがクリエイティブを自称し、またクリエイティブを自称する他の人々に不満を抱いているエリア」とでも言うべきでしょうか。

 とは言え、ペロン氏はクリエイティブな人です。彼がクリエイティブでないのなら、クリエイティブな人など存在しません。 
 
 モントリオール出身のフランス系カナダ人のペロン氏は、世界のトップミュージシャンたちが贔屓(ひいき)にするデザイナーであり、ドレイクやカニエ・ウェスト、ジェイ・Z、リアーナ、フローレンス・アンド・ザ・マシーンなどの壮大なステージショーを手がけてきたことで最もよく知られています(ドレイクの「Aubrey and the Three Migos」ツアーでは、観客の頭上に黄色のバルーン製フェラーリを浮かせています)。

 しかし、ステージショーは彼の経歴のほんの一部に過ぎません。

 ペロン氏はこれまでに数々のオフィスや店舗をデザインし、セイント・ヴィンセントのミュージックビデオも撮影。彼女のアルバム『Masseduction』でグラミー賞の「最優秀レコーディング・パッケージ賞」を受賞したこともあります。彼はマルチに活躍する多産なクリエイターであり、自らの仕事に対して誇りを持っています。

The Man Who Flies Ferraris: Willo Perron Turns Hip-Hop Dreams Into Reality
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ペロン氏がビジュアルを手がけた2015年の「Foundation Louis Vuitton」でパフォーマンスをする、カニエ・ウェスト。

 「『クリエイティブ・ディレクター』と聞くと、何のスキルも学んでいない人のように思えるんです」と、ペロン氏は話します。「ですが私は、グラフィックデザイナーやインテリアデザイナーもしましたし、ショーも演出します。店舗のデザインもしますので…」と、ペロン氏は続けて話してくれました。 
 
 このロサンゼルスの複合型スタジオは、サンセット大通りのはずれにある3つのビルからなるもので、これはペロン氏のビジネスが活気づいていることの証です。彼は6週間前にここに引っ越したところであり、現在15人のスタッフとともに働いています。 
 
 ビルの1つにはペロン氏のオフィスと印刷物および映像部門が入っており、隣のビルにはインテリアおよび家具部門、通りを挟んだ向かい側のビルには、イベントデザイン部門があります。

 「エスクァイア」編集部が訪れたとき、彼らはコーチェラ・フェスティバルのステージの準備を進めており、Zeddの回転儀風のDJブースを製作したり、ロック・ネイション社(ジェイ・Zが代表を務めるレコードスタジオ)のLAオフィスのデザインを行っていました(このプロジェクトは、ジェイ・Zの「4.44」ツアーでのペロン氏の仕事がきっかけに生まれたものです)。また、カニエ・ウェストも自らが手がける「イージー(Yeezy)」のカラバサスオフィスのデザインもペロン氏に依頼が来ています。 
 
 「どれも自分自身の延長なんです」と、ペロン氏は背後にある天井まで届くほどのムードボード(コンセプトを伝えるために、デザイナーによってつくられたコラージュ)を指しながら話します。「私は何かを考え出し、人々に少なくとも実際にやってもらいます。これらのアイデアを、頭から追い出す必要があるんです。様々なアイデアは奇妙な潜在意識状態から現れ、私はそれを解釈して説明しなければなりません。宗教、あるいは音楽と同じです」とペロン氏は語ります。 
 
 彼はデザインについて、「問題解決」と語る実用主義者でありながら、アイデアの発想については「夢と潜在意識にかかわる神秘的なもの」とみなしているのでした…。 

"潜在意識から生まれ、私は人々に伝えなければならない "

  
 
 「フローレンスの『How Big, How Blue』ツアーの場合、その音楽は風が流れるかのようでした」と、ペロン氏は腕を振りながら語ります。「ですが、大規模なショーで使うような機械の動きは直線的なものです」と続けて述べています。

 そこで彼はひと晩考え、翌朝起きると、「ロンドンのセルフリッジズの先にあるリージェント・ストリートの少し外に傾いた壁」、「キラキラ光るチップの壁があるビバリーヒルズのメゾン・マルジェラのブティック」、「風に揺らめく芸術的なファサードがあるオーストラリアのブリスベン空港の駐車場ビル」といったもののことを考えていました。 
 
「そこでピンと来たよ。『これはショーに使える!』って」
 
 こうして彼は反射するアンティーク銅製チップを2万枚使って、風や水の反射や火明かり、太陽や月を模倣したステージをつくり上げました。 
 
 様々なミュージシャンたちと仕事をしながらペロン氏はギアチェンジをし、また彼が呼ぶところの「tweaking dials(ダイヤルの微調整)」を熟達していったのでした。  
 
 「フローレンスの特異性からカニエの美しい狂気、ドレイクの仰々しさまで、自分をうまく調整するんです。ドレイクについては、自分自身の強がりと結びつけて考える必要がありました。『敏感で傷ついた』ダイヤルを回すと、強がりな自分が出てくるんです」とペロン氏は語ります。

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ロサンゼルスのシルバーレイクにある、自社の外壁前で撮影されたウィロ・ペロン氏。(2019年1月撮影)

 実際、ペロン氏は強がりには事欠きませんでした。

 ジャズピアニストと心理学者という両親の間に生まれた彼は、学校を中退し、独学でグラフィックデザインや映像制作を学びました。そして働き始めてからは、断固として自分から売り込むことはありませんでした。「単に無料でアイデアを出すのです」とペロン氏は当時を振り返っています。

 ペロン氏は20代までにモントリオールの「サイエンス」というヒップホップ・レコード店のオーナーとなり、アメリカン・アパレルブランドに雇われ、世界中の数百軒の店舗デザインをしました。こうして燃え尽き症候群気味になったペロン氏は、ロサンゼルスに引っ越し、アップルでしばらく働きました。

 その後、彼は2006年にマレーシア・クアラルンプールでカニエ・ウェストと出会うと、2人はすぐに意気投合。彼の最初の仕事はこのラップ界の大御所のワードローブの整理だったといい、ウェストは「気に入らないものは全部捨ててくれ」と言ったそうです。 
 
 ペロン氏はウェストを通して、リアーナやフローレンス、ケンドリック・ラマー、その他のアーティストたちとも関わりを持ちました。そしてウェストは、現在もペロン氏のキャリアの中で最も重大なつながりであり続けています。

 そこで1つの疑問が浮かんできます。それは「カニエ・ウェストのようなアーティストを、どのように『クリエイティブに導く』ことができるのか?」ということです。

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ドレイクの2018年ツアー「Aubrey and the Three Migos」のため、ペロン氏がつくった「浮遊する」フェラーリ。

 「音楽プロデューサーという仕事を考えてみてください」とペロン氏。

 「アーティストのビジョンを推進するのはプロデューサーかもしれませんし、あるいはアーティスト自身かもしれません。カニエの場合、通常は彼自身がビジョンを推進するのは確かです。ですが、私たちはかなりくだけた会話を通して、お互いに影響やインスピレーションを与え合っています。あらゆることを議論しますし、意見が合わないことも多々あります。コメディー台本を書くようなものです。誰かの気分を害することなく、最もひどいジョークをぶつける能力が必要です。PC(ポリティカル・コレクトネス、政治的な正しさ)ばかり気にする人に囲まれていると、常に殺菌された物事に触れることになります。間違いが許される余地というものは必要なことなのです。天才であるほど誤りを免れないもの…というわけではありませんから…。多くの天才は、お世辞にもいい人とは言えませんし」と、ペロン氏は語りました。 
 
 ペロン氏によれば、ブランドの場合は「予測可能であることがゴールだ」と言いますが、アーティストの場合は「正反対だ」と言います。

 「リーバイスは、常にリーバイスらしい必要があります。ですが、アーティストについて愛すべきところは、方針を突然変更しても許されることです。デヴィッド・ボウイやジョン・レノンのように、『私が今やっていることはこれで、気になるなら見てみればいい。君たちに何かを売りつけようというつもりはないんだ』という姿勢です」と、ペロン氏は説明します。 
 
 ウェストと同じように、ペロンもさまざまなメディアに惹かれています。彼がつくり上げたのは印刷物から映像、店舗スペース、イベント、オフィスデザイン、家具まであらゆるものをデザインするスタジオです。 
 
 「グザヴィエ・ドランのように、あらゆることをする映画監督が大好きなんです。彼らは衣装をつくり、脚本を書き、編集もします。それこそが本当に世界をつくるということです」と、ペロン氏は芸術の世界について話しました。

"私たちがアーティストを愛しているのは、あらゆることに対して何でも許されることです。"

 
 
 ペロン氏がつくっている世界は、未来を舞台にしています。彼は常に時代の先を行く必要があるのです。問題はトレンドやファッションに遅れず、ついていくことではありません。

 「そういったものはすでに古いものであり、すでに起こったことなんです」とペロン氏は話します。「そして、ファッションは『トレンド』のような決まりごとばかりです。突然、何もかもがオーバーサイズやパープル、花柄といった具合になってしまいます。多くのクリエイティブな人々が、どうして同じタイミングで同じことに同意できるのでしょう? 少しふざけているよね…」と、続けてコメントしました。 
 
 このため、雑誌はあまり役立ちません。ついでに言えば、メディア一般がそうです。実際、最近ペロン氏は、朝に新聞を読む時間を減らしたと言います。「それが正しいエネルギーを与えてくれていると感じなくなったんです」とのこと…。

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ロサンゼルスの複合型スタジオで、15人のスタッフを監督するペロン氏。

 ペロン氏の未来への考え方は、より歴史家的なものです。

 「今は暗黒時代なんです。しかしながら、昔もこんな時代はありました。80年代のレーガノミクス(レーガン経済政策)やエイズ、冷戦の時代です。その後、何が来たでしょう? レイブやハッピーなドラッグ、ダンスです」と彼は肩をすくめます。

  「ですから、私たちはそこに向かっているのかもしれません。現在の虚無主義の後、人々はスピリチュアルでつながっている感覚を必要とするでしょう。そして、人々の生活がオンラインにもある現在、公共空間は変わることになるでしょう...」と、ペロン氏は続けて話してくれました。 
 
 彼は沈黙しながら、窓の外を見つめます。そこには、常にアイデアの源泉となる新鮮な夢があるのでしょう。今度はどのアーティストのステージを演出するのか、とても気になるところです。

 

 
 

From Esquire UK 
Translation / Wataru Nakamura 
※この翻訳は抄訳です。