e

ポルノ依存に悩む男性のための、オンラインサポートフォーラムというものがあります。こうしたサイトを詳しく観ていくと、「自分の精神がポルノに毒されてしまった」と考えるあらゆる年代の男性が、さまざまな種類の悲惨な話を語っているのが分かります。

「空いた時間があると強迫的にオンラインポルノでマスターベーションをしてしまい、何も他のことをすることができない」と言う10代の男性。「現実の女性との性的経験が、長年視聴してきたハードコアな内容のAVにはかなわなくて、勃起することができない」と言う性的に最盛期にある年齢の男性。「ポルノがパートナーとの関係性に悪い影響を与えた。自分の人間としての成長も阻害された」と訴える年配の男性たち…。

ポルノ依存は、言葉の厳密な意味においては「依存症」ではありません――少なくとも、まだ現時点では。最新版のDSM(※1)では、ポルノの過剰利用は本格的な依存症とは認められていません。とは言え、メンタルヘルスの専門家たちは他の強迫行為(例:ゲーム、買い物、インターネット等)と同様に、「ポルノもまたその潜在的な依存特性についてさらなる研究が必要である」という認識でいます。ですが、依存症のもっと一般的な定義を見てみるならば――(1)その人の生活に否定的な影響を及ぼす行動、(2)その人はやめたいと思っているが、やめるのに困難をおぼえる行動――となれば、ポルノは間違いなく依存症の条件に当てはまります。

ポルノ依存について知るため、今回はジョージに話を聞きました(※2)。彼は成功したビジネスパーソン。話しぶりは明確で、礼儀正しく、物腰の柔らかい人物です。また郊外に住まいを構え、3人の娘を持つ父親でもあります。

ポルノの強すぎる引力に対し、ひそかに困(こま)らされているようには見えません。しかし実際は、ジョージは人生のほとんどをポルノに奪われてしまいました。彼が言うには、「ポルノを見る習慣をやめたにもかかわらず、いまだにポルノの影響から抜け出られてはいない」、とのことです。

※1 DSM(日本語「精神障害の診断と統計マニュアル」)とは、アメリカの精神医学会が作成している精神障害に関する世界的な診断基準。2013年に発行されたDSM-5(第5版)が現時点での最新版。
※2 取材対象者の安全を守るため、名前を変えています。


ジョージ、54歳、ニュージャージー州

私が初めてポルノに出会ったのは、10歳のときでした。友だちがヌード雑誌『Oui』の一冊を私に見せようとしました(※)。私はカソリック家庭の育ちだったので、見るのを断りました。このことで友だちにからかわれました。大人になったいま、「私はもうポルノは見ないことにしています」と言うと、私がポルノを見ない理由は今ではもう宗教とは全く関係ないのですが、それでもネガティブな反応を返す男性がいるのには皮肉を感じてしまいます。

その数年後、私は父の『Playboy』を見つけました。その瞬間まで、私は女性の陰部に毛が生えているなんて、全く思ってもみませんでした。写真を見ただけで、勃起しました。興奮しましたね。マスターベーションはしませんでした。写真を見る、勃起する、収まったら元の場所に戻す、という感じでした。

「マスターベーションする」ということは、そもそも頭にありませんでした。他の人が話題にしているのを耳にして、初めてそのことに思い至ったのです。自慰行為を初めてしたのは15歳のときで、そのときには恥ずかしさもありましたが、同時にスリルも感じました。

当時は現在とは違って、どこでもポルノが手に入るような状況ではありませんでした。VHSテープのアダルトビデオをビデオデッキで再生して見る、という時代です。たまにAVをレンタルしましたが、その都度勇気が必要でした。自分でそれを貸出カウンターに持っていて、お店のスタッフに手渡さないといけませんでしたからね。「よし、いくぞ」と、覚悟を決めないとできませんでした。現代では、ポルノに対しアクセスすることは容易…勇気は必要ありません。自分がポルノを見ていることを、誰にも知られなくて済むのです。

30代の頃、ブルックリンの自分のアパートで初めて高速接続のインターネット環境を手に入れました。私は、工事と設定をしてくれた男性に「こんなの本当に必要なのかな? ダイヤルアップ接続で十分な気がするけど…」と言いました。すると彼は、私に向かっていわくありげな顔で、「一度味わったら、もとに戻れる人は誰もいませんよ」と言いました。不吉な口調でした。その言い方の何かが私に、「ああ、ポルノのことを言っているんだな」と思わせました。

そして、「さあ、これでいつでも無料で、しかも他の誰にも知られずに、女性の裸を見ることができる――これはものすごいことだ!」、そう思った自分がいました。

ポルノが恋人との関係性に影響をおよぼしていると気づくのに、そう長くはかかりませんでした。ガールフレンドと一緒にいるのに、会う前に見たポルノのシーンを夢想してしまうのです。彼女といるときに「AVを見ながらセックスしないか?」、と提案してみたことがありました。彼女のことではなく画面を見つめる私をとらえて、彼女はこう言いました。「私って、ここにいる必要ある?」と——。

でも基本的には、私は自分の行動を「全くもって普通だ」と思っていました。「自分はデートした女の子たちに、そんなに惹かれなかっただけなのだ」と。ある女性に少しの間惹かれて、しばらくしたら他の女性へ心移りするというのは、「ごくごく普通のことじゃないか」と考えていたのです。

※『Oui』は、もともとフランスで『Lui』というタイトルで出版されていた雑誌。アメリカの『Playboy』誌に相当するような雑誌だったという。1972年にプレイボーイ・エンタープライズがアメリカ版の権利を購入。『Oui』にタイトルを変えて同年10月にアメリカで創刊。2007年に廃刊。

顔を上げると、「こんなに長い時間、私は一体何をしていたのだろう」と思う。週に4, 5回のペースでそういうことがありました

いったんポルノを見始めると、何時間も経ってしまいます。ジョン・メイヤーが『Playboy』誌の悪名高きインタビューで語っていたことに似ていました(※)。自分を興奮させてくれる完璧なひとりを見つけるまで、何百人という女性に目を通していくというものです。最後に顔を上げると、「こんなに長い時間、私は一体何をしていたのだろう」と思う…週に4、5回のペースで、そういうことがありました。

8年ほど前のことです。私は、ゲイリー・ウィルソンの登壇したTED動画「ポルノについての大実験(The Great Porn Experiment)」(2012年のTEDxGlasgowのトークで、現在1600万回以上視聴され、18言語に翻訳されている )を観ました。その中でウィルソンは、インターネット上のポルノが男性に対しておよぼす影響について話していました。

動画の中で「クーリッジ効果」という言葉が使われていました。この用語は1958年に動物学者のフランク・ビーチによってつくられたもので、彼の「雄ラットにおける性的消耗と回復(Sexual exhaustion and recovery in the male rat)」と題された論文に出てきます。

※ジョン・メイヤーは、グラミー賞も受賞したことのあるアメリカの歌手。2010年3月号の『Playboy』誌(同年2月12日発売)に掲載のインタビューで、過去の交際相手であるジェシカ・シンプソンについて「麻薬のよう」「性的爆弾だった」などの発言をしたり、ポルノへの熱狂を語るなどした。黒人差別的な発言があった点について、発売前の2月10日に自身のTwitter上で謝罪するなど、スキャンダラスな記事として話題になった。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
The great porn experiment | Gary Wilson | TEDxGlasgow
The great porn experiment | Gary Wilson | TEDxGlasgow thumnail
Watch onWatch on YouTube

行動心理学者や進化心理学者は動物の交尾の習性を研究し、「オスの動物が1匹のメスの相手をすると、そのメスに対する興味は時間とともに薄れていく」と結論づけています。ですが、「さまざまなメスの中から新たな相手を選ぶことができると、オスは再び完全に疲れ果てるまで何度も何度も交尾をする」ということが明らかにされています。これを「クーリッジ効果」(「第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジの名言に由来する」と言われています)と呼んでいます。

「男性は、さまざまな性的パートナーを欲するべくつくられており、ポルノは性的パートナーが無限にいるかのような幻想を抱かせてくれる。だから男性たちはポルノに夢中になる」。

私はこの話を聞いて、これこそ真実だと思いました。私が見ていたポルノは、思いもよらぬ仕方で私に影響していたのです。私はこの件について書かれたものを他にももっと読み始めました。ウェブサイト「Your Brain on Porn」(※1)はもちろん、強迫的にポルノを視聴してしまう人たち用のレディット(※2)上のフォーラム「r/pornfree」で、そこに投稿された体験談なども読み進めていきました。そして私は思いました。ウィルソンの言っていることには一理ある、と。 

※1 上記ゲイリー・ウィルソンの創設したポルノ依存に関する総合的なウェブサイト。
※2 アメリカ版「2ちゃんねる」と呼ばれることもある掲示板型ソーシャルニュースサイト。


私は、その頃は週に2、3回しかポルノを見ていませんでした。私には妻がいましたし、郊外に住まいを構え、3人の娘もいました。私には自分ひとりになってポルノを見るような時間は、それほどなかったのです。ですが、それでもポルノは私をとらえていました。私はひとりになってポルノを見ることができるのを、心待ちにしていたのです。

他にあったはずの楽しみは、ほとんどポルノに置き換わっていきました。私は以前にはもっと音楽を楽しんでいました。前は、良質の映画やテレビ番組を見るのも楽しんでいました。良い本を読むのを楽しみにしていました。ですが今や、自分の時間が数時間できたとなったら、私の頭に真っ先に到来するのは「これでポルノが見られる」という思いなのです。

本当に、人生を無駄にしています。

1カ月ポルノを断ってみると、意識がクリアになってきました。ポルノへの渇望は鎮まりました

私はポルノへの依存的な習慣をやめました。想像よりずっと大変でした。AVで見たさまざまなシーンが、夢に出てくるほどです。妻が眠ると別の部屋へ行って、AVを見たくなる自分がいました。

そうして1カ月ポルノを断ってみると、意識がクリアになってきました。ポルノへの渇望は鎮まってきたのです。すると、娘たちと一緒に過ごす時間が増えたことにも気づきました。また、活力が出てきました。ふだんの生活にも喜びを見いだせるようになったのです。

スリップ(禁じていた行動をしてしまうこと)して見てしまうまでの6カ月間、私はAVを見ずに過ごしました。ポルノを見るといつも、そのあとの1、2日の間は残像がちらついて、もう一度見たい欲求にかられることに気づきました。視聴から2、3日も経つと、映像が消えていきます。そうすると裸の女の人が、頭の中を駆け巡っているような状態ではなく、ちゃんと子どもたちと話すことができるようになります。

私は実際のセックスがどんなものなのかを知っている、大人の男性です。妻もいますし、結婚前にも何人か彼女がいました。それでも私にとってAVを見るのをやめることは、難しいことでした。今の時代に育つ若い男性たちにとって状況が一体どんなものなのか、私には想像してみることしかできません。彼らの体験談を読むと、胸が締めつけられます。「これまで彼女がいたことはない。AVを見るようになって12年経つ。AVをやめられない」と書く26歳の若者、「妻がうんざりして自分のもとを離れるまで、妻よりポルノを優先していた」という男性——。

中には、「AVがバックグラウンドで流れていない状態でセックスをしたことがない」という男性もいます。彼らの前には、長い道のりが待っているでしょう。

娘を持つ父親は、娘のボーイフレンドが娘とセックス“するのではないか”と心配したります。私の心配はと言えば、ボーイフレンドたちが娘たちとはセックス“したがらないのではないか”、あるいは“しようとしてもできないのではないか”ということ。私は、そこで娘たちが自分を責めて、「自分には魅力がないのだ」と感じるのではないかと心配なのです。本当の原因は彼女自身とは一切関係ないのに…。

年単位でポルノを見続けると、少年たちは頭はもちろんのこと心も蝕(むしば)まれてしまいます。私の娘たちは今はまだ、こうしたことを話し合うには年齢的に早すぎますが、一番上の娘は思春期にさしかかってきているので、この話題をどうやって切り出したらいいか考え中です。

私は、ある男性グループのメンバーになっています。私たちは集まっては、自分たちの抱えているさまざまな問題について話し合います。私はグループで、「ポルノをやめようとしたが、かなり難しい」と話しました。論争になるようなことだとは思っていなかったのですが、あるひとりの男性が激昂(げきこう)しました。彼は私を、「ピューリタン(※1)」「アンチセックス(※2)と言い、私が「自分の罪悪感を他人に投影している」と非難しました。

でも、どれも当てはまりません。高い性欲があって、セックスを楽しむことは何も悪いことではないはずです。マスターベーションにも反対ではありません。私が心配しているのは、ポルノがこれら全てを決定的に駄目にしてしまうことなのです。AVを見ないほうが、良いセックスができるからです。

※1 清教徒。英国のプロテスタントの一派。イギリス国教会に反対し、宗教改革の徹底を主張した。そこから、厳しい教義を守る人や官能的悦びに反対する人を指していうことも。
※2 アンチセックス、anti-sex(antisex)とは、「性行為や性的表現に反対する人の」という意味。


「自分もポルノのことで苦労している」と、友人たちが打ち明けてくれることがあります。ある友人は、「もし10代の頃にインターネットポルノがあったら、自分は結婚することも家族を持つこともなかっただろう」と言っていました。

生物学には「超正常刺激」(※1)という概念があります。例えばある種のトカゲは、本性上、赤い色に惹かれる性質があります。もしこのトカゲが、例えば窓から赤いトラックを見たとします。するとトカゲは、性的に興奮して水槽のガラスに飛びつきます。この場合赤いトラックが超正常刺激です。赤いトラックがこの動物の、文字通り「爬虫類脳」(※2)を過剰に刺激し、機能不全をきたすほどの強力な性的興奮の反応を引き起こすのです。これと同じ現象が、男性とポルノにおいても生じているというわけです。

「依存症」という言葉にはネガティブな含意もかなりあるので、使うのにためらいがあります。私は自分のことをポルノグラフィー依存症だとは思っていません。私は「ただ、もうポルノは見ないと決めた人間だ」というだけです。

8年ぐらい前に、長女がピアノを習い始めました。実は私もピアノを習いたいとずっと思っていたのですが、なかなか実現には至りませんでした。私は音符ひとつとして読めませんでした。そこで、娘と同じ先生からレッスンを受け始めました。

しばらくの間、AVを見たい衝動に襲われるたび、その代わりにピアノの練習をしていました。フロイトがいうところの「昇華(※3)」ですね。ピアノを習うことは、方法はずいぶん異なりますが、「よろこび」という意味では相通じる感覚を私に与えてくれました。

今ではバッハが弾けるようになりました。ショパンも何曲か習っているところで、成長しています。どこまでいっても「無」でしかないものから離れ、かわりに意味あるものを学んでいるところです。

※1 超正常刺激(superstimulus)とは、ある動物にとって、特定の行動を引き起こす、自然界ではありえない強すぎる刺激のこと。
※2 脳のなかでもっとも原始的な部位を爬虫類脳と呼ぶことがある。反射脳の別名もあり、本能的な欲求にかかわる。ここでの原語は”lizard brain”で、文字通り「トカゲ脳」の意。
※3 無意識の内に抑圧された欲求や衝動が芸術活動や学問的探究といった社会的・文化的価値の高い活動へと向けられることによって生じるより高度な自我の防衛機制の働き。

※この記事は抄訳です

ジョージ本人は文中にあるように、「ポルノ依存症者(porn addict)」の呼称を拒んでいます。ですが、自分の依存に関して認めることが難しいこともまた、依存症で悩む人たちの実情でもあること、問題の先送りがもつ危険性などを鑑み、原文タイトルにある「依存症」の言葉を残しています。

Translation / Miyuki Hosoya 

From: Esquire US