Apollo 11 Astronauts Smiling
Bettmann//Getty Images
1969年7月24日、空母ホーネットの隔離地区の窓越しに笑顔を見せる、ニール・アームストロング氏とマイケル・コリンズ氏、バズ・オルドリン氏。この数日前、アームストロング氏とオルドリン氏は月面を歩き、コリンズ氏は1人司令船に残って月周回軌道を飛行していました。

1969年7月20日午後1時46分、ニール・アームストロング氏とバズ・オルドリン氏はアポロ11号の司令船「コロンビア」号から月着陸船「イーグル」号を切り離しました。そしてマイケル・コリンズ氏は司令船に残ってロケットを噴射し、同僚たちから約3.2km、地球の人類から約40万km離れた場所へと移動しました。

 
 コリンズ氏は、同僚たちの着陸船がどんどん小さくなる様子を見ながら、「みんな、僕に話しかけ続けてくれ」と無線で呼びかけたと言います。 
 
 午後3時8分、アームストロング氏とオルドリン氏は何のためらいもなく「イーグル」号の降下エンジンを噴射し、月への着陸に備えました。そしてコリンズ氏はたった1人、彼らがチョークのように白亜の月面に降下する様子を見ていました。

 このときの彼は、絶対的かつ完全に孤独だったのです。 

 そして彼は、テキサス州ヒューストンにあるジョンソン宇宙センター内ミッション管制センターへ、降下の第一報を無線で伝えます…「何もかも順調で、申し分ない」と添えながら。

The Apollo 10 Command Module, 1969.
Science & Society Picture Library//Getty Images
アポロ11号ミッションで月の裏側を周回するコリンズ氏の司令船。

午後10時56分、アームストロング氏は月面に左足を踏み出し、大気圏外の場所に足を踏み入れた最初の人類となりました。オルドリン氏は着陸船から写真を撮影し、自らも月面歩行を実施。そして1時間後、2人が月面に米国旗を立てると、当時の大統領であるリチャード・ニクソンがミッション管制センターを通じて彼らに電話をかけ、「やあ、ニールとバズ。ホワイトハウスの大統領執務室からかけています。これは間違いなくこれまでかけられた中でも、最も歴史的な通話です。すべてのアメリカ人にとって、今日は人生でもっとも誇るべき日となるでしょう」と話しました。 
 
 同僚たちが大統領と話していたとき、コリンズ氏は1人司令船の中に座り、月の周囲を回っていました。この宇宙船が月の裏側を通過していた47分間、ミッション管制センターとのあらゆる無線通信は途絶えていました。彼はかつてないほど孤独だったのです。アームストロング氏が「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という伝説的名言を残したとき、コリンズ氏はこれを聞き逃しました。 
 
「私は今ひとりです。本当にひとりぼっちです。あらゆる既知の生命から絶対的に隔離されています。数を数えてみるなら、月の向こう側には30億人プラス2人、こちら側には1人プラス神のみぞ知るというところでしょう」とコリンズ氏は後に書いています。 
 
 また、このミッションログのメモには、「誰もマイケル・コリンズほどの孤独を知ることはなかった」と記されています。

Apollo 11 astronaut Michael Collins, 1969.
Science & Society Picture Library
ニール・アームストロング氏とバズ・オルドリン氏が月面を歩いていたとき、コリンズ氏は司令船に残っていた。

この歴史的ミッションから50年を経て、現在もアームストロング氏とオルドリン氏は誰もが知る有名人となりました。その一方で、このミッションの中で、この2人と同様に重要な役割をはたしたコリンズ氏ですが、彼らと同じような注目を浴びることは避けてきました。彼は長年にわたって、基本的にはメディアの取材依頼を断ってきたのです。とは言え、アポロ11号が2019年7月20日に月面着陸から50周年を迎えることもあり、彼は最近ではいくつかのインタビューに登場しています。 
 
 前回の40周年記念のときにコリンズ氏は、すべてのインタビューを断ったうえで、NASAを通して声明を出しました。彼はその中で、名声や英雄主義に取り憑かれたポップカルチャーへの不満を語っています。 
 
 「私たちがセレブリティですって? 1人の人間を語るうえで、なんて空っぽの概念なのでしょう。友人で偉大な歴史家のダニエル・J・ブーアスティンは、この概念を『よく知られているゆえに有名人』と言い表しました。恋愛遍歴や薬物依存、あるいは逮捕歴でさえ注目されるきっかけになるのですから…。こんな話はさせないでください」とコリンズ氏は語っています。

Event, Conversation,
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1969年3月(月面着陸ミッションの4カ月前)、ヒューストンで飲み物を手に話しを交わすニール・アームストロング氏とマイケル・コリンズ氏、バズ・オルドリン氏。

コリンズ氏の同僚のオルドリン氏とアームストロング氏は、まったく違った方法で名声に対処しました。が、名声は彼らの人生をめちゃくちゃにもしました。

 アームストロング氏に関して言えば、数十年間必死に目立たないよう過ごしました。伝記作家のジェームズ・ハンセン氏は彼について、「ニールは名声を一切求めていない人でした。セレブになったり、スポットライトを浴びたいとは思っていなかったのです。彼は普通の生活をおくるためにあらゆることを試し、世捨て人同然でした」と語っています。最終的に、アームストロング氏の結婚生活は崩壊します。

 一方、注目を集めることに熱心であったオルドリン氏は、鬱病とアルコール依存症に苦しみます。そして、1970年代だけで2度も離婚しています。  
 
 50年が経った今だからこそわかることなのでしょうが…。そう考えるとコリンズ氏は、先見の明があったと言えるでしょう。


陸軍大将の息子として生まれたコリンズ氏は、ウェストポイントの陸軍士官学校を卒業後に米空軍に入隊しました。その後彼は、戦闘機のパイロットとなり、宇宙プログラムに志願します。1963年には第3期の宇宙飛行士クラスのメンバーとなりました。コリンズ氏にとって初のミッションとなったのはジェミニ10号で、これは地球を周回する宇宙船です。月へと向かうアポロ11号は、彼にとって2つ目のミッションだったのです。 
 
 アポロ11号までの数カ月、コリンズ氏はこのミッションの重大な危険性について、妻のパットに語ることを避けたと言います。彼は個人的に、自分たちの生還の可能性が五分五分と考えていました。とは言えコリンズ氏が一番怖かったのは、自分1人だけが生き残って帰還をはたすことだったようです。

The Collins's Eat Breakfast
Ralph Morse
1969年3月のコリンズ氏と妻のパット。

 「この6カ月間、私が密かに恐れてきたのは、彼らを月に残して1人で地球に帰還することでした」とコリンズ氏。さらに、「彼らが月面からの離陸に失敗したり墜落したりしたら、私は直ちに帰還するつもりでした。自殺するつもりもありませんでしたし…。ですが、その後は死ぬまで目をつけられていたことでしょうね。そのことはわかっていました」とコリンズ氏は語ります。 
 
 2019年7月21日の午前1時過ぎ、オルドリン氏とアームストロング氏が司令船「コロンビア」号に無事戻ったときには、コリンズ氏は同僚たちとの再会に対して心より安堵し、オルドリン氏の額に思わずキスしそうになったと言います。『タイム』誌によれば、コリンズ氏はキスしたい思いのやり場をこう語っています。「やっぱりなしだな。歴史書が気にいるような話じゃないだろう」と思い、やめたそうです。 
 
 推定1億2500万〜1億5000万人の米国人が、7月20日の月面着陸を目にしました。そして、7月24日に地球に帰還した3人は、まさに英雄のような歓迎を受けることになります。 
 
 「月から戻ったときの私たちには、誰一人としてその後の過剰なまでの称賛に対する心の準備などできていませんでした」と、オルドリン氏は後に語っています。

 「私たちはエンジニアであり、科学者であり、戦闘機のパイロットでしたが、映画スターかのようなもてなしを受けました。これはほとんどのメンバーにとって手に負えないものであり、私にとっては間違いなくそうでした」と、オルドリン氏は続けて語りました。 
 
 オルドリン氏は宇宙からの帰還後に、鬱病とアルコール依存症に直面しました。1970年代、彼は2度の離婚を経験し、財産を失い、ついにはビバリーヒルズのキャデラック販売店で働くことを余儀なくされました。そんな彼も最終的には、ポップカルチャーにおける自らの役割を受け入れ、『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』や『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』などに出演しています。

Apollo 11 astronauts, 1969.
Science & Society Picture Library//Getty Images
1969年4月15日、アポロ11号の打ち上げテストに向かうニール・アームストロング氏(右)とマイケル・コリンズ氏(左)。

アームストロング氏は、自らの名声に興奮することはありませんでした。彼はアポロ11号の1年後にNASAを退職し、シンシナティ大学の教授に就任します。アームストロング氏の伝記作家によれば、彼は幼い娘の死後にひたすら仕事にのめり込み、結婚生活は崩壊してしまったと言います。

 NASA時代の話は避け、自らの肖像の使用には慎重な姿勢をとっていたと言い、「テレグラフ」紙によれば、ある理容師がアームストロング氏の髪の毛を切った後、収集家に数千ドル(約10万8000円)で売ってしまったときには激怒したそうです。そうしてアームストロング氏は2012年、82歳で亡くなりました。 
 
 コリンズ氏は、アポロ11号の直後にNASAを辞め、1970年に国務省の広報担当次官補としてワシントンD.C.で政治の仕事を得ました。その後、彼はスミソニアン国立航空宇宙博物館の館長に就任し、スミソニアン協会の次官へと昇進。最終的に、自らの航空宇宙コンサルティング会社を立ち上げています。 
 
 アポロ11号からの帰還後、彼がもっとも頻繁に聞かれた質問は、「あれほど月の近くまで行ったのに、結局足を踏み入れなかったことに対し悩まされることはありませんか」というものでした。

Obama Meets With Apollo 11 Astronauts In The White House
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2009年、バラク・オバマ前米大統領と並ぶオルドリン氏、コリンズ氏、アームストロング氏。

 「それはまったくありません。正直、アポロ11号に乗船できたことは本当に恵まれていたと感じていました。あの3席の1席に座れたのですから…」と、コリンズ氏はNASAの口述史の中で語っています。

 また、「自分が3人の中で一番いい役割だったかと聞かれれば、『ノー』です。ですが、自分に与えられた役割に満足したかと言えば、『イエス』です。そして、フラストレーションや恨みといった感情は全くありません。すべてのことに非常に満足しています」と、コリンズ氏は続けて話しています。 
 
 コリンズ氏はこの歴史的ミッションで、自らがはたした役割について、かなりの注目を浴びたと語ってきました。とは言え、彼はオルドリン氏やアームストロング氏が受け止めた、有名人としての押しつぶされるような重圧には直面してこなかったようです。

 コリンズ氏と妻のパットは、その後も2014年に彼女が亡くなるまで一緒に過ごし、このカップルは3人の子どもを授かっています。2009年、コリンズ氏は自らの生活について「ランニングや自転車、スイミング、絵画、料理、読書、株式市場の心配をしたり、10ドル以下(約1080円以下)の最高に美味しいカベルネ(ワイン)を探して過ごしている」と語っていました。 
 
 このインタビューの中で、彼は今でも宇宙の話題、特に火星について熱心に語っています。「私はいつも、『間違えた場所に送り込まれたよ』とジョークを言っていました。月は火星に比べるなら、全然面白くありませんからね」と、コリンズ氏は2019年4月に宇宙情報メディア「Space.com」に語っています。そして、「歴史を書き換えらるのであれば、人類初の火星探査隊の一員となりたいものです」と、彼は続けてコメントしてます。 
 
 とは言えコリンズ氏は、ドナルド・トランプ米大統領による火星探査計画には懐疑的な様子。彼は2019年初めのCNNのインタビューで、「トランプ氏が火星のことを十分承知しているとは思えません。彼は火星という惑星があることも理解していないかもしれませんから」と、冗談を交えて語っています。 
 
 2019年7月20日には、アポロ11号が月面着陸してちょうど50年となります。ここで改めて、そのときの搭乗員である3名(ニール・アームストロング氏、バズ・オルドリン氏、マイケル・コリンズ氏)の偉大さを称えましょう。

 

From Esquire US 
Translation / Wataru Nakamura 
※この翻訳は抄訳です。