今から50年前の1969年7月、人類は初めて月に足を踏み入れました。それを代表する感動的一場面が、テキサス州ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センターの科学者グループが導いた歴史的な月面着陸、その第一歩がありました。
このミッションは大きなストレスを伴うもので、管制室ではめまいを起こしてしまいそうな量のタバコ、あるいは大量のコーヒーが消費されました。しかし、このミッションが極めてドラマチックなものであったことも確かです。米国全土が見つめる中、宇宙飛行士のニール・アームストロングとバズ・オルドリンは月面に足跡と米国旗を残し、司令船でサポートしたマイケル・コリンズとともに地球への生還に成功したのです。宇宙好きの好奇心あふれる方には、もう説明は不要かもしれませんが。
そんな人類初の月面着陸から50周年を記念して、NASAはヒューストンにあるアポロ・ミッション・コントロール・センターを輝かしい当時の姿に復元することを決めました。とは言え、実際のところ「輝かしい」という言葉が適切かどうかはわかりません。この管制室はコーヒーカップやゴミが散乱する巣穴のような場所でしたし、自然光も全く入りませんでした。
今回の復元を主導したのは、NASAの伝説的フライト・ディレクターでアポロ11号やアポロ13号(「ヒューストン、トラブル発生だ」というフレーズが生まれた計画です)のミッションを指揮したジーン・クランツです。NASAとクランツは5年を歳月をかけて資金を集めます。
そして2年間で実際の復元を行い、コントロールセンターは6月下旬にテープカットセレモニーの準備が整いました。すでに一般公開が開始されており、アポロ11号の月面着陸からちょうど50年となる7月20日には、見事間に合うこととなったのです。
復元された管制室
復元された管制室の中を覗いてみれば、自分自身が60年代にタイムスリップし、人類を初めて月に送り込んだ人々と一緒に働いているかのような錯覚を覚えることでしょう(NASAは1992年にこの管制室を閉鎖し、その後この場所は復元まで荒れはてていました)。
このプロジェクトのチームは、当時のコーヒーカップや灰皿、ダイヤル式電話、カーペットなどをかき集め、管制室をできる限り正確に再現しています。当時の写真を参考にしたり、実際に働いていた管制官たちにインタビューを行うなどし、あらゆるものを正確に配置したのでした。管制室のスクリーンには、月面着陸当日と同じ地図や映像が表示されており、テーブル上にはコーラやタバコが散らかっています。
「完全復元された管制室に初めて入りましたが、衝撃的でした。正直、涙が出たほどです」と、クランツはオンラインメディア「NPR」に語っています。
また、「言葉にできないほどの感情が湧き上がりました。私は室内を歩き回り、この2日間はテープカットセレモニーなどもありました。そんなとき、信じられないかもしれませんが、50年前の人々の声が聞こえたんです。それは管制官たちが話している声です」と、クランツは続けて話しました。
この50年の間には、多くの出来事がありました。戦争その後の平和、スニーカー文化の到来、気候変動の壊滅的影響、リアリティショーの大人気もありました。
米国の宇宙飛行士は、1972年を最後に月面へ訪れようとはしていません。ですが、この状況も変わるかもしれません。トランプ大統領は火星探査の土台を築くために、再び月面に宇宙飛行士を送り込みたがっています(トランプ政権の政策の中では、数少ない容認できるものになります。伝え方に問題はありますが...)。
また、テック業界の一部の大富豪やNASAも、有人月面着陸を計画しているのはご存知でしょう。
ジョンソン宇宙センターのマーク・ガイヤー所長は声明の中で、「50年前のわれわれの目標は、『月に人類を送り込み、地球に無事帰還させることができる』と証明することでした。そして現在のわれわれの目標を言わせていただくと月へ戻り、持続可能なカタチで滞在することになります」と語っています。
また、「この施設が一般公開されることにワクワクしています。これからの世代のためのインスピレーションとして、大いに役立ってくれることを願っています」と、ガイヤー所長はコメントしました。
真新しくも歴史あるアポロ11号の管制センターは、米国にオープンした最もクールな博物館と言えるでしょう。
Source / Esquire UK
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。