相対するストローズの恐れ
「科学者は魔術師。いつ白が黒に振れるかわからない」

オッペンハイマーへの敵意の塊だったストローズ(ストロース)は、科学の「アマチュア」を気取れるほどの教育を受けていたわけでもありませんでした。ですが、それでも一種のプロフェッショナルと見なされるにふさわしい人物でもありました。科学的好奇心の副産物の市場価値に目をつけ、銀行家としてしばしば利益を得ていました。研究資金をまだ個人の厚意に頼っていた時代、彼は(1938年にノーベル物理学賞を受賞。マンハッタン計画に参画し、世界初の原子炉の運転に成功した「核時代の建設者」「原子爆弾の建設者」[*]とも呼ばれる)エンリコ・フェルミ(物理学者。ノーベル賞受賞)の後援者でもあります。そして連邦予算によって、より潤沢な資金の分配担当となり、彼がAEC委員長を退任したときには、国防機関は第二次世界大戦時の5倍の支出を科学研究に費やすようになっていました。

ストローズは、自ら専制君主となる目標を掲げていたわけではありません。彼の健康そうな顔色と当たり障りのない眼鏡顔で、心中の敵意を微塵(みじん)も感じさせませんでした。そしてごく当たり前の敬意の姿勢を全方位に示し、それを崩すことはめったにありませんでした。ですが、自分だけが委員会の少数派だったときには孤立し、頑迷(がんめい)となる性格を擁していたため、新たな多数派の司令官となったときストローズは専制的に振る舞うようになっていきます。

オッペンハイマーの人生
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ルイス夫妻の基金が創設したアルベルト・アインシュタイン賞の第一回受賞式にて。左端がアインシュタイン博士、その隣がルイス。映画『Oppenheimer』ではロバート・ダウニー・ジュニアが演じている。

オッペンハイマーをつぶしにかかるストローズ

何かを極端に崇拝することは、それが理性であっても、必然的に迷信に行き着くものです。ストローズの場合は科学を崇拝の対象としていました。自身を啓蒙主義の産物であると自認しながらも、彼の信仰は人々が思いやりか悪意か、しかし決して無関心ではないと考える偶像の前で崇拝したりするなど、そのような煙につつまれた祭壇のほうへと彼自身をどんどん追いやっていくようになります。

ストローズはある種、科学と魔術を混同していたようです。そして彼は、オッペンハイマーを科学者の最高峰と見なしており、「善のために力を使わない場合は、当然悪のために使用する可能性もあるはずだ」といった、まるでオッペンハイマーが黒か白のどちらに振れるかわからない魔術師であるかのような見方もしていました。

オッペンハイマーは、トルーマン大統領が「スーパー(核兵器)」を承認するや否や、「スーパー」に抵抗することをやめました。すぐに十分な熱意を払ってはいなかったにせよ、その達成を支援することに実直でした。そして武器を置いて、抗議することなく役職を譲り渡し、中心から身を引いていきました。しかしそのような礼儀正しさもまたストローズを苛(いら)つかせる原因となりました。ストローズは多数決の概念を非常に軽んじる性格だったため、最終的に自分に本当に有利な形で決着をつけるまでは、問題が解決したとは考えませんでした。

そうして原子力委員会を、オッペンハイマーから切り離すことにしたのです。それは容易なことでした。彼はまだ相談役として待機していましたが、ストロースは皆が彼に相談する機会をつぶすだけでよかったのです。

映画 oppenheimer
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映画『Oppenheimer』より。(左から)ロバート・ダウニー・ジュニア演じるストローズ、キリアン・マーフィー演じるオッペンハイマー

諮問委員会に返り咲くオッペンハイマー

しかし1953年、ストローズとトーマス・フィンレター空軍長官は、オッペンハイマーが国防動員局の科学諮問委員会の委員に返り咲いたことを知りました。アイゼンハワー大統領が突然この委員会を採用し、政府内で最も私的な議場である国家安全保障会議に知らせるまで、この委員会は人知れずくすぶっていました。大敵と思われていたオッペンハイマーが輝きを取り戻し、霊薬を携えて大統領自身の前で呪文を唱えている様は、戦略空軍司令部とAECを、「オッペンハイマーの権限であるセキュリティ・クリアランス(機密情報を扱う適格性)をはく奪する以外、オッペンハイマーの思考が伝染することに対抗する術はない」という決意を駆り立てました。

オッペンハイマーはあまりにも良心的に国家に従順であったため、国家は彼の迷走を見つけるための口実を簡単に与えることはできなかったのです。彼は確かに、共産主義者と親しい時期がありました。しかしそれは、そのような共感が民間人の自由だった頃の話です。彼はそのことを率直に告白もしていましたし、ストロースでさえ、6年前にAECがオッペンハイマーのセキュリティ・クリアランスの承認を査定した際には、その逸脱を「些細なことだ」と評価していました。

映画 『oppenheimer(オッペンハイマー)』
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映画『Oppenheimer』より

オッペンハイマー、3つのスキャンダル

その間、確かにオッペンハイマーのセキュリティ・ファイル(機密情報)はどんどん厚く、縦に4フィート6インチになるまで成長していました。そのファイルは1930年代後半から作成されているもので、FBIが彼を『People’s World人民世界)』という共産主義系日刊紙の新しい購読者として記録したときに始まりました。彼自身はロスアラモスへの参加以降、そのファイルに多くの情報を提供していませんでしたが、彼の個人的な感情が一時的に公の規律を打ち破ったほんのわずかな時期に、小さな情報だけが彼自身によって提供されていました。その情報は以下のようなものです:

1) 30年代後半、彼は共産党バークレー支部のメンバーであったジーン・タトロックと非公式に婚約していました。二人が別れた後、ジーン・タトロックはうつ病の森に迷い込み、1944年に自殺に追い込まれました。死の直前のある時期、彼女はオッペンハイマーにどうしても会いたいとの言葉を送りましたが、あまりに多忙だったため1943年6月まで彼女に応えられませんでした。しかし、彼はロスアラモス行きの列車に乗り遅れるまで、彼女の父親の家で夜を徹して彼女と語り合うことができました。すでに過去のものだと思っていた場所で彼は心を動かされたはずです。

オッペンハイマーは、自分が長時間プライバシーを確保することがもはやできない存在になってしまったことに気づいていませんでした。政府の諜報(ちょうほう)員は彼がタトロックの家に入るのを監視し、彼女がオッペンハイマーを空港まで車で送るときまで、家の外に張り込んでいたのです。

映画『oppenheimer』でジーン・タトロックを演じるフローレンス・ピュー(左)
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映画『Oppenheimer』より。ジーン・タトロックを演じるフローレンス・ピュー(左)

2) オッペンハイマーが左翼と関わりを持っていた頃、最も親密で、最も不運な男性との友情はバークレー校でフランス語を教えていたハーコン・シュヴァリエとのものでした。オッペンハイマーがマルクス・レーニン主義に幻滅した後も、シュヴァリエのマルクス・レーニン主義の単純明快さに対するロマンチックで無邪気な情熱を指示していました。ある晩、オッペンハイマーがマティーニを混ぜていると、シュヴァリエは「ソ連領事館が、ロシアの科学者に情報を伝えるためのパイプ役になってくれそうな物理学者を探している」と言う、ある工業化学者に声をかけられたことを話しました。

オッペンハイマーが唯一覚えているのは、「それはとんでもないことだ」と言ったことだけでした。しかしその後、彼はシュヴァリエが仲介役であると特定することなく、この工業化学者だけをスパイ行為として当局に警告することが、自分の義務にほかならないと考えました。

友人と国家両方のために尽くそうとしたこの努力は完全に失敗し、彼がシュヴァリエの名前を吐くまで政府の諜報員は圧力をかけ続けました。彼のことを一番よく知っていると思っていた人でさえ、気づかないであろう弱点を露呈してしまったのです。そこで彼は、自身の弱点を露呈させてしまったのです。

このオッペンハイマーの暴露によって、シュヴァリエのキャリアは衰退していきました。オッペンハイマーは時折、愛情というよりもむしろ良心の呵責(かしゃく)に駆られ、彼の汚名をすすごうと少しばかりの努力はしたようです。


3) 共産主義は彼の教え子であるバークレー校大学院生の何人かを魅了――50年代風に言うと「感染」――していました。1949年、下院非米活動委員会はそのうちの2、3人について調査するため、オッペンハイマーを呼び出しました。その頃には、彼は発展途上の時代の精神に完全に取り込まれており、その中でバーナード・ピーターズに対する率直な疑念を吐露しました。ピーターズはナチス・ドイツからの亡命者としてカリフォルニアにやって来て、ニューヨーク州のロチェスター大学で物理学を教えるようになったのでした。

オッペンハイマーは委員会に対し、ピーターズがドイツ共産主義者へのあふれる友愛をカリフォルニアに持ち込み、ダッハウ強制収容所に投獄される以前は仲間とともにベルリンの路上でナチスの一団と戦い、悪知恵を働かせて脱獄を果たしたと告げました。オッペンハイマーにとってこのような経歴は、「自制心に欠ける」性格を示すものでありました。

委員会は非公開審理でオッペンハイマーの話に耳を傾け、彼はリチャード・ニクソン下院議員からの、祖国への数多くの大きな貢献の中でも特にこの件に対する温かい感謝の意とともに帰途に就きました。オッペンハイマーは自身がピーターズについて何を話したか、公聴室の外の誰にも知られることはないと安心していました。しかし彼は、政府がその秘密に対して、自分よりもはるかに無神経であることを思い知ることになるのでした。

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Translation: Yumiko Kondo