◇マーティンルーサーキングはどういう人?
キング牧師を語る上で欠かせない演説、それが“I have a dream”演説とも称され、しばしばCM等にも引用されているあの演説です。最近の日本で言えば、2014年に某転職サイトのCMに使用されていたので、思い出した方もいるかもしれません…。
1950年代のアメリカは人種差別・不公正な法律によって、アフリカ系アメリカ人は屈辱的な境遇にさらされていました。その実情を身をもって感じていたキング牧師は、人種差別撤廃に対して精力的に活動してきたのです。
しかしながらキング牧師は、暗殺され亡くなってしまいました。その後、世界中からこの平和的で偉大な人物の損失を深く悲しみ、「Martin Luther King, Jr. Day(キング牧師記念日)」の設定を願う声が沸き上がります。そんな中、彼の誕生日である1月15日を法定休日とすることを願う人々と、彼が暗殺された日を休日にすることを願う者がいたため、1986年に当時のロナルド・レーガン大統領がキング牧師の誕生日(1月15日)に近い毎年1月第3月曜日を、「Martin Luther King, Jr. Day」として祝日とすることを宣言したのでした…。
◇マーティンルーサーキング牧師の演説や名言
以下、キング牧師が行ってきたいくつかの偉業、演説や名言も一緒に写真とともにご紹介しましょう。もちろん、この程度で、彼を語ったなどと言えるものではありません…が、このわずかな紹介をきっかけに、さらなる興味を抱いていただければ幸いです。
モンゴメリー・バス・ボイコット事件
1929年1月15日、アメリカ・ジョージア州アトランタで、牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として誕生します。ミドルネームも含めて父と同じ名前をつけられましたが、1935年に父がマーティンと改名したのに際して、息子であるマイケルも同様に改名。よってここで、「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア」という名前になったわけです。
そうしてマーティン・ルーサー・キング、ジュニアは、1954年にアラバマ州モンゴメリーの教会で牧師に就任。キング牧師は1年ほど平穏に牧師を務めていましたが、1955年12月にモンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件によって、彼の生き方は大きく変わったのでした…。
この事件は、黒人のローザ・パークスがバスで白人に席を譲らなかったことから逮捕にまで至ったというもの。キング牧師はこの事件に激しく抗議し、「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」とのちに称される運動を計画。この運動は、なんと382日間におよんで続けれたのでした。
結果、1956年11月に連邦最高裁判所からバス車内の行為は法律上人種差別容認であり、「これは違憲である」という判決を勝ち取って抗議運動は成功となりました。
そして、この「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」は、公民権運動に一般の民衆が参加した初めての運動として広く伝わっていったのです。
ニクソン副大統領と会見
「モントゴメリー・バス・ボイコット事件」は全米に大きな反響を呼び、1956年には合衆国最高裁判所が「バス車内における人種分離(=白人専用および優先座席)」を違憲とする判決となりました。すると、アラバマ州をはじめとする南部諸州各地で、黒人の反人種差別運動が盛り上がりを見せることになります。
左から2番目がキング牧師。右から2番目がアイゼンハワー大統領下のリチャード・ニクソン副大統領になります。そんなわけで、1957年6月13日に南部の人種問題についての会談が行われたのでした。
インド訪問
「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」の成功によって、キング牧師は公民権運動の最も有力なリーダーの一人となりました。以来、牧師をしながら、全米各地で公民権運動を指導することになります。
1957年には、南部キリスト教指導者会議 (SCLC)を結成し、その会長に就任。あまりにも目立ってきたせいでしょう、1958年9月20日にはハーレムで黒人女性によってナイフを胸に突き刺されることになります。
しかしながら、幸いにもキング牧師は一命を取り留め、未遂に終わりました。そして1959年2月には、インドのジャワハルラール・ネルー首相に招かれ、インドに訪問します。
上の写真は1959年3月10日、インドのニューデリーにて。インド独立に貢献した政治家、Acharya JB Kripalani氏の家に訪れた際のキング牧師夫妻になります。
ジョンF・ケネディ大統領との会見
1962年9月30日には、ミシシッピ大学初の黒人学生であるジェイムズ・メレディスの転入をめぐって暴動が起こります。そこでは、2人死亡者を出す騒ぎとなります。公民権運動にまつわる出来事としては、まだまだ悲しい事件が続く時代と言えるのです。
上の写真は1962年12月17日、当時の大統領である故ジョンF・ケネディに、アメリカ・ジョージア州アトランタ南部キリスト教指導者会議の会長としてキング牧師が会見したときのものになります。
ワシントン大行進
1963年8月28日、キング牧師にとって最も代表的な演説である「I Have a Dream」が、ワシントンD.C.にあるリンカーン記念館の階段上で響わたりました…。
ちなみにこの演説は終盤に、これに参加していたゴスペル界最高峰の歌手として名高いマヘリア・ジャクソンからの叫び、「あなたの夢をみんなに伝えて」を受けて、キング牧師はあらかじめ用意していた演説の締めくくりの部分を読まず、「I Have a Dream」という名台詞を生み出した即興のスピーチを展開したのでした。
バチカンにて、教皇ポール6世と見解
1964年9月18日バチカンにて、当時のローマ教皇であるパウロ6世とも会見を果たしています。
ノーベル平和賞を受賞
そして1964年12月10日、ノルウェーのオスロにてノーベル平和賞を授与したキング牧師。当時35歳にして、公民権運動における非暴力による促進が称賛されたのです。
選挙権求める大行進
上の写真は1965年3月25日、アラバマ州モンゴメリーで3マイルのデモ行進を開始しようとしているときのもの。グループを率いるのが、キング牧師です。
それ以前の1965年3月7日、黒人が有権者登録を妨害されていたことに抗議する約600人が、セルマから東の州都モンゴメリーに向かうデモ隊を行い、これに対し州軍と地元保安官が催涙ガスや警棒を使って攻撃を始めます。そして彼らを、セルマへと追い返しました。これが世に言う「血の日曜日事件」です。
この事件を受けてキング牧師は、再びデモ行進を計画。それがこのときのものです。行進は同年3月21日にスタート。そして同年3月25日、デモ行進はモンゴメリーに無事到着しました。3月21日、約3200人がアラバマ州セルマから出発しましたが、3月25日にモンゴメリーへ到着するときには、その数約2万5000人へと達していたのでした。
こちらのデモ行進に関しては、さらに詳しく知りたい方は、映画『Selma(グローリー/明日への行進)』(アメリカ公開2014年12月25日/日本公開2015年6月19日)に描かれているので、DVDで一度ご覧になることをおすすめします!
キング牧師暗殺事件の前日
1968年4月3日、キング牧師はテネシー州メンフィスにあるメーソン寺院にて、最後の演説を行いました。この翌日である4月4日、滞在先であるモーテルのバルコニーで悲劇が起こります…。
定宿としていたロレイン・モーテルに滞在中、側近とそのモーテルのバルコニーで談笑をしているときに前方のアパートから、ジェームズ・アール・レイによって銃弾が発射されます。そして、これによって彼の命は奪れたのでした…。
上の写真は、その最後の演説の模様。旧約聖書中の一書で、モーセ五書の5番目である『申命記』32章に近い内容だったということ。自らの死を予見したかのようなスピーチだったと、語られています。
ワシントンにあるキング牧師記念碑
ワシントンD.C.、リンカーンメモリアルの階段を過ぎて朝鮮戦争戦没者慰霊碑の先を少し歩くと、2011年8月に公開されたマーチン・ルーサー・キング牧師記念碑があります。
腕を組んでまっすぐ前を向くキング牧師像を囲むようの設置された壁には、キング牧師が行ったスピーチなどから14の言葉がピックアップされ、そこに刻まれています。
その中から、「I Have a Dream」に加えてほしい言葉をご紹介しましょう。
「Darkness cannot drive out darkness, only light can do that. Hate cannot drive out hate, only love can do that.(暗闇は暗闇を追いやることはできない、光ならできる。憎しみは憎しみを追いやることはできない、愛ならできる)」
キング牧師記念碑
公式サイト