▼ そもそも切り裂きジャックとは?

▼ 切り裂きジャックの新たな手がかりとは?

▼ 切り裂きジャックは世界初の連続殺人犯か?

▼ 切り裂きジャックは誰を殺したのか?


そもそも切り裂きジャックとは?
そして歴史的未解決事件の新説

1888年にイギリス・ロンドンのホワイトチャペル、そしてその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯、それが“Jack the Ripper(日本では、切り裂きジャック)”です。当時の捜査記録などには“Whitechapel Murderer(ホワイトチャペルの殺人鬼)”や“Leather Apron(レザー・エプロン)”とも呼ばれていました。

標的となったのは、ロンドンの娼婦たち。被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴でした。少なくとも3人の犠牲者からは内臓が取り出されていたことから、犯人は解剖学や外科学の知識があったと考えられています。1888年10月頃に同一犯によるものという噂が高まり、メディアやロンドン警視庁には犯人を名乗る人物からの多数の手紙が届いたりもしていました。そこでその手紙を書いた人物が自らを“Jack the Ripper”と名乗っていたということをメディアが流布したことによって広まり、その伝説は確固たるものとなりました。

そんな「切り裂きジャック」の正体はこれまで、1世紀以上にわたって謎のままでした。しかし、当時の関係者の遺品が再発見されたことと、元警察協力者による新説によって、この伝説的な謎が明らかになる可能性が出てきました。

新たに興味をかきたてられた犯罪事件マニアたちは、謎に包まれた路地に向かい、結局袋小路に入るだけに終わるのでしょうか? それとも、かつてはその恐怖から小声でささやかれ、今ではロンドンのホワイトチャペル地区で行われているツアーで絶えず大声で叫ばれている名前、つまり「切り裂きジャック」の正体が明らかにされるのでしょうか?

恐らく歴史上でも際立って有名な未解決事件の犯人、「切り裂きジャック」の本名についての謎は過去130年間、プロアマ問わず多くの探偵たちを夢中にさせてきたに違いありません。犯人の正体が今に至るまで不明だったことで切り裂きジャックは、「スウィーニー・トッド」や「バネ足ジャック」などの「ペニー・ドレッドフル(英国で19世紀に流行した大衆小説)」に登場する架空キャラクターと同様、空想的な存在と混同されるようになってしまっていたと言えます。

そんなわけで切り裂きジャックは、映画や小説、オペラ、ゲームのモチーフとなり、コミック『バットマン:ゴッサム・バイ・ガスライト』の挿絵ページでは、バットマンと対峙する姿が描かれてもしています。

結局、ロンドンで悪名高いこの殺人鬼の正体については無数の説があり、私たちは長い間「彼の正体は何なのか?」 あるいは「彼がどんな姿をしていたのか?」と、真偽はともかく、霧に包まれたホワイトチャペルの街をさまよう犯人像を勝手に想像してきました。

映画『jack the ripper』(1959年)のポスター。
LMPC//Getty Images
映画『Jack the Ripper』(1959年)のポスター。

しかし今、「切り裂きジャックは誰か?」という解決不可能と思われていた疑問の答えに、現実として近づいているのかもしれません。

切り裂きジャックの正体を
明らかにする
新たな手がかりとは?

1888年に切り裂きジャック事件の捜査を担当したフレデリック・アバーライン警部の遺品が再発見されたことをきっかけに、事態は興味深い展開を迎えています。

アバーライン警部の遺品というのは、特注の彫刻が施された杖です。この杖は、ハンプシャー州ブラムシルの警察学校内で長い間保管されていましたが、「ニューヨーク・ポスト」紙の記事によると、「2015年に同機関が閉鎖された際に行方不明になっていたと思われていた」そうです。

しかし最近になって、英ハンプシャー州ライトンに移設された警察学校の職員が“歴史的所蔵品を探していたところ、その杖が見つかったということ。その杖はネット上に写真が掲載されているだけでなく、“新任警察官に警察の捜査技術の進歩をアピールするため”、学校内に実物が展示されています。

この杖がなぜ重要なのか――。

それは、アバーライン警部がこの杖の持ち手に、切り裂きジャックと思われる顔を彫刻していたからです。この顔は目撃者の証言に基づいて作成されたもので、現存する唯一の似顔絵と言えるでしょう。もちろん、この杖だけでは悪名高き殺人鬼の正体を明らかにすることはできませんが、この杖が再び見つかったことで改めて切り裂きジャックの当時における捜査のカギであったルックスがわかるようになったのです。

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

しかしながら1800年代の杖1本だけでは、事件は解決しないかもしれません。ですが、ある元警察協力者は「その似顔絵作成の元になった目撃談と同様の証言を、当時の医療記録の詳細とすり合わせれば、これまで長い間捜査で見過ごされてきた容疑者の特定につながる可能性もある」と考えています。

『インディペンデント』紙掲載の記事*⁴によれば、切り裂きジャック事件に携わった捜査官の孫であるサラ・バックス・ホートン氏は、「ホワイトチャペル地区で起きたこの凄惨な殺人事件の犯人を特定できた」と考えています。

ホートン氏は当時の医療記録を詳細に調べた結果、「葉巻職人のハイアム・ハイアムズが切り裂きジャックの正体だ」との考えを明らかにしています。ハイアムは職業柄、ナイフの扱いが得意だったと思われ、切り裂きジャックが犯行に使ったのがナイフだったということが一つの理由ですが、ホートン氏はそのことよりも、ハイアムが患っていた精神的・肉体的疾患が切り裂きジャックの犯行の特徴と一致することを大きな根拠としています。

ホートン氏はこの考察について、『テレグラフ』紙に「史上初めて、ある目立った身体的特徴から、切り裂きジャックがハイアム・ハイアムズと特定された」と語っています。ホートン氏はハイアムズの医療記録を調べたところ、ハイアムズが “膝が曲がっており、片足を引きずるように不規則な歩き方をしていたこと”を発見しました。これが何につながるのかというと、切り裂きジャックの目撃者も「この悪名高い殺人鬼も不規則な歩き方をしていた」と証言していたのです。

ホートン氏はまた、ハイアムズに精神疾患と発作的暴力行為の歴があった点を指摘しています。「インディペンデント」紙によれば、ハイアムズは「妻の浮気を疑い、繰り返し妻に暴行を加え、最終的には妻と母親を“肉切り包丁”で襲って逮捕された」とされています。多くの診療所や精神病院でのハイアムズの記録から、「彼の精神的、肉体的衰弱の時期と切り裂きジャックの犯行時期は重なっており、1888年2月に左腕を骨折してから1889年9月に精神病院に永久的に収容されるまでの間にエスカレートした」ということが示唆されています。

もちろん、このような医療記録と100年前の目撃証言からの分析は、ほとんどの自称 「リッパロロジスト(切り裂きジャック研究家)」が事件の解決を認めるには妥当性が不十分なようです。しかし現時点で、何をもってすれば妥当性が十分だと言えるでしょうか?

そもそも世界で有名な未解決事件に、十分に妥当性のある結論などあり得るのでしょうか? また、なぜこの事件は何十年も経った今でも、事件マニアを魅了し続けているのでしょうか?

切り裂きジャックは
世界初の連続殺人犯か?

「切り裂きジャック・ツアー」の看板
Mike Kemp//Getty Images
2023年5月、ホワイトチャペル地区に掲げられていた「切り裂きジャック・ツアー」の看板。

この「切り裂きジャック」という名前をつけられた正体不明の殺人鬼は、決して世界初の「連続殺人鬼」ではありません。当然ながら過去の歴史の中には、具体的な定義次第ではあるものの、連続殺人鬼事件はいくつもありました。

紀元前2世紀、中国・前漢時代に「済東王」と呼ばれていた劉彭離(Liu Pengli)*⁵は、100人以上の市民を虐殺したと言われています。また、1300年代のアイルランドで「キルケニーの魔女」と呼ばれたアリス・キテラー*⁶は、4人の夫を毒殺し、魔女裁判にかけられました。ジャンヌ・ダルク(15世紀の「百年戦争」でオルレアン解放を実現させ、フランス軍を救った少女)の戦友だったジル・ド・レ*⁷は、100人以上の子どもを殺害したと告白しており、「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリ*⁸が使用人の少女を殺害したとされる恐ろしい話は、切り裂きジャック事件が起きた頃にはすでに言い伝えとなっていました。

また歴史上、当時の支配体制の中で「所有物」や「人間以下」とみなされていた人々の被害を含めれば、連続殺人鬼に分類されるべき人物は数え切れないほど存在することになります。

しかし、切り裂きジャックは世界初の連続殺人鬼ではないものの、メディアでセンセーションを巻き起こし、世界規模で人々の関心の的となった最初の人物とされています。事件としては厳密に世界初ではないとしても、100年以上にわたって人々が推理し、関心を持ち、奇怪な殺人事件の典型例として思い浮かべるのはこの「切り裂きジャック」が初めての例かもしれません。

アニー・チャップマン殺害直後に掲載された新聞記事
Universal History Archive//Getty Images
アニー・チャップマン殺害直後に掲載された新聞記事。ホワイトチャペルの殺人鬼は、「レザー・エプロン」と書かれています(「切り裂きジャック」という呼び名は、この後に広まったもの)。

切り裂きジャックは
誰を殺したのか?

切り裂きジャックの犯行による“公式”の被害者は、メアリー・アン・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズ、メアリー・ジェーン・ケリーの5人とされています(もちろん、現在の未解決事件捜査同様、この他にも理論的に同じ犯人の手によるものだと思われている事件はあります)。ウェブサイト「バイオグラフィー」のアーカイブ記事*⁹によれば、これらの殺人事件は全て1888年8月7日から9月10日にかけて発生し、全て1マイル(約1.6キロ)以内の範囲で行われ、標的となった被害者には“売春婦”という共通性がありました。

この「バイオグラフィー」で指摘されているように、当時は通常“1人の成人女性の死や殺人が報道されたり、上流社会で議論されたりすることはほとんどなかった”という時代。よって「切り裂きジャック事件の“遺体損壊の残忍性”は、社会において人々の話題の中心にはなりにくく、隅に追いやられてしまったのではないか?」と考える人もいるかもしれません。

ですが、大衆に普及しつつあった当時のマスメディアが、そうした残忍性ではなく、犯人がロンドン警視庁に送ったとされる警察をあざ笑うような手紙をはじめとする、切り裂きジャック事件にまつわるストーリーを報じたこと。それによってこの事件は、進歩と成功を誇っていた社会の暗部を映し出す鏡として特徴づけられることになったのです。

『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』紙に掲載された、万国博覧会のオープニングを描いた挿絵
Science & Society Picture Library//Getty Images
1851年の「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙*¹⁰に掲載された、万国博覧会のオープニングを描いた挿絵。ヴィクトリア女王やイザムバード・キングダム・ブルネル(イギリスのエンジニアで、テムズトンネルやグレート・ウェスタン鉄道の建設などに尽力)などの姿が描かれています。

後編へ続

[脚注]

*1:Batman: Gotham by Gaslight 1989年2月に初版発行された、「バットマンがもし19世紀末に生きていたら?」というパラレルワールド的背景に、バットマンと切り裂きジャックの対決が描かれているコミック。2018年にはワーナー・ブラザース・アニメーション製作、ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメントが配給でアニメーション映画化も。Amazonで観る

*2:Frederick George Abberline ロンドン警視庁の警部(Chief Inspector)であり、1888年の切り裂きジャックによる連続殺人の捜査における警察の中心的人物。ロンドン警視庁の記録では、身長5フィート9.5インチ(約177cm)、髪は濃いブルネット、眼はヘーゼル、顔色は健康的とのこと。

*3:New York Post 1801年に設立された、ニューヨーク市で展開する保守系日刊タブロイド紙。この参照記事は2022年12月29日にウェブで公開されたもの。

*4:The Independent 1986年10月に、「イギリスで最も新しい高級紙」として創刊された。かつては紙面での発行も行っていたが、2016年3月をもってそれを終了し、現在はオンライン新聞に移行する。参照記事は2023年7月16日に公開されたもの。

*5:Liu Pengli(紀元前180生~157年とされる) 紀元前2世紀における漢の皇族の一員で、「済東王」として知られています。前漢の第5代皇帝文帝の孫であたり、第6代皇帝である景帝の弟 劉武が父。一部の歴史学者は、劉彭離を史上初の連続殺人犯と評価。司馬遷の『大史記』によれば、彼は29歳のとき、傲慢で残忍な性格で、夕暮れになると数十人の奴隷や不良少年らとともに略奪に出かけ、単なる娯楽のために人を殺し、財産を奪ったとされています。歴史、哲学、宗教など中心としてウェブマガジン「The Historian’s Hut」を参照記事にしています。

*6:Alice Kytele(1263年生~1325年以降は?) 14世紀にアイルランド史上唯一の「魔女裁判」にかけられた人物。アリスは4回の結婚を繰り返し、夫は次々と謎の死を遂げ、そのたび巨額の富を得ていたことから「魔女」だとして火あぶりの刑を宣告されました。 ところが、処刑されたのは彼女のメイドで、アリスはまんまとイングランドへ逃げたとも言われています。参考ウェブ記事は「HISTOIRY IRELAND」より。

*7:Gilles de Rais(1405年頃生~1440年没とされる) 百年戦争時のフランス王国軍(騎士傭兵軍団)大元帥で、グリム童話『La Barbe Bleue(青ひげ)』(初版にしか存在しない)のモデルとも言われている。フランス屈指の名門貴族の家に生まれ、まさに御曹司と呼ぶに相応しい存在。百年戦争中のオルレアン包囲で、あのジャンヌ・ダルクに協力して、戦った英雄でもあります。しかしジャンヌ・ダルクが火あぶりになってから、性格は180度変わってしまったらしく、精神を病み、子どもの血から金がつくれると考え、200人以上の子どもたちを手にかけたと言われています。参考ウェブ記事は「Britannica」より。

*8:Elisabeth Báthory von Ecsed(1560年生~1614年没とされる) ハンガリー王国の貴族。史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「血の伯爵夫人」という異名を持つ。召使に対する残虐行為は夫の存命中から始まっていたが、1604年に夫と死別後に一層エスカレート。当初は領内の農奴の娘を誘拐したりして惨殺していたが、やがて下級貴族の娘を「礼儀作法を習わせる」と誘い出し、残虐行為は貴族の娘にも及ぶようになった。その残虐行為はむごすぎて語れないほどです。ちなみにミュージカル『エリザベート』のエリザベートは全くの別人です。

*9:Biography 1960年代にテレビ番組として放映され、1996年にBiography.comとしててスタートした歴史的人物のストーリーを追求するウェブマガジン。参照ウェブページはNotorious Figures(悪名高き人物)カテゴリー内のアーカイブより。

*10:The Illustrated London News 世界で初めて、ニュースをイラストレーション入りで報じることに主眼を置いたイギリスの週刊新聞。1842年に創刊され、1971年まで週刊で発行されていました。

Translation / Keiko Tanaka
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です

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From: Popular Mechanics