1970年代と言えばポルシェに限らず、多くの自動車メーカーにとって受難の時代であったと言えるでしょう。原油価格の高騰や経済の低迷のみならず、燃費や排気ガス、騒音や安全性に対する消費者や行政の関心の高まりなど、国際的に変化の渦が巻き起こりました。そういった世相の流れはドイツの名門をも揺るがし、対応を迫られることになったのです。

ポルシェが迎えた冬の時代

当時のポルシェ「911」に搭載されていたのは、空冷式のリアマウントエンジンでした。コンパクトなボディの「911」はハンドリングが難しく、アクセルを踏めばお尻が振れてしまうほどに制御の難しいクルマであり、時代の要求に応じるのは困難なものでした。1964年の登場からすでに10年近くの歳月が経ち、その販売予算も削られる一方。70年代半ばには、販売台数が目に見えて低下してしまいます。

さらに1972年には、ポルシェ創業家が経営から身を引くことになります。そうして新たに会長の座に就いたのは、「911ターボ」、「934」、「935」といった同社を代表するパフォーマンスモデルやレーシングカーのチーフエンジニアとして活躍したエルンスト・フールマン氏でした。フールマン氏の技術部門を中心に、再編が行われることとなったのです。

新会長指揮のもと、ポルシェは「911」の問題点を反省材料としながら、新たなラインナップの可能性の追求に着手します。数十年来のポルシェの伝統を改めて見直し、フロントマウントの水冷エンジンが採用されました。かつて創業者フェルディナンド・ポルシェ氏が、独裁者アドルフ・ヒトラーのために設計したフォルクスワーゲンに耐久性のルーツを求めるなど、「911」からの脱却が図られたのです。

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PORSCHE
そうして満を持して発売されたのが、ポルシェ「928」です。が、セールスは期待通りに膨らむことはありませんでした。

「928」の販売も振るわない緊急事態!

こうして誕生した「928」は、トランスミッションを車体後部に搭載した「トランスアクスル方式」を採用した1台となりました。車体の前後重量配分(編集注:車全体の重量に対して、フロント側とリア側のタイヤにかかる重量の割合のこと)を51/49というほぼ完ぺきなバランスに仕上げ、安定した走りを実現しています。

アルミニウム製のボディパネルにすることで軽量化を図り、より高い効率性を追求しました。そしてフロントに積まれたV8エンジンは、当時の新たな排出ガス規制や騒音規制への対応を可能かつ容易にするものだったのです。もちろん、高級車に求められる快適性も忘れられてはいませんでした。

そんな「928」は、1978年に発売されました。そのスタイリングや安定性、快適性やパフォーマンスなど、当時多くの面で高い評価を受けていたのは確かです。高速走行でも安定した能力を示し、ニュルブルクリンクのサーキットでは「911」と同程度のタイムを軽く叩き出します。このように前途洋洋に見えたのですが、「911」のようには売れることはなかったのです。

その前年、1977年にはフォルクスワーゲンとの共同開発の末に誕生した、フロントエンジンモデルの「924」が販売されました。それはポルシェのエントリーモデルと位置づけられたモデルでしたが、安っぽさとパワー不足を非難する声が高まり、大きな人気を獲得するには至りませんでした。

the new porsche 924
Ron Bull//Getty Images
1977年発売の「924」もセールスが振るわず、ポルシェは岐路に立たされることになります。

そういった流れの中で迎えた1980年代は、ポルシェにとってまさに正念場とも言えました。初の赤字を記録し、工場の裏には「924」を始めとする売れ残ったクルマが山積みという状況に陥りました。工員たちの士気の低下も深刻でした。「911」はすでに昔のクルマといった様相を呈しており、将来性への不安から1982年にはついに生産中止の決断を下されることとなります。

この決断に対して、ポルシェの愛好家たちが激怒したのは言うまでもありません。フールマン氏は、会長の座から引きずり降ろされることとなりました。そこで後任として選ばれたのが、かつてナチスの迫害を逃れて一族でキューバへ、そしてその後、アメリカへと移住したドイツ系ユダヤ人のピーター・シュッツその人でした。

「911」こそが生命線であり、
アイデンティティなのだ!(シュッツ氏)

シュッツ氏は、産業用車両会社のキャタピラーとカミンズでエンジニア兼セールスマネージャーを務めた人物です。ポルシェのステークホルダーたちの声に丁寧に耳を傾けながらシュッツ氏は、「911こそがポルシェの生命線であり、財政再建の鍵であるばかりでなく、スポーツカーメーカーとしてのアイデンティティそのものである」と判断するに至りました。個性的なマシンであることは疑いようもなく、ドライバーとしての誇りと満足感を顧客に与えるクルマであることが改めて認識されたのです。

ブランド再建のために必要なのは、革命的で象徴的なポルシェの姿を力強く示すことだ(ピーター・シュッツ氏)

創業者の子息であるフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ氏にもアドバイスを求め、「自らが理想とする1台を目指すべきだ」という提案を受けています。こうして新たに指揮を執ることとなったシュッツ氏は、「ポルシェとして追求すべきは親しみやすさなどではなく、本来の中心的価値をより強化すること…そして、より高級なクルマを生み出していくことである」と結論づけたのです。

8週間で組み上げられた「911カブリオレ」

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想像を絶するほどの熱量を伴うプロジェクトの結果として誕生したのが、「911カブリオレ」でした。ポルシェの伝統とも言えるフォルムをコンバーチブルとしてよみがえらせることに、見事成功しました。このとき、かつてポルシェのフル・コンバーチブルとして人気を博した「356ロードスター」を制作したチームが、8週間でこれを組み上げたのです。

クーペの2割増しという販売価格にも関わらず、「911カブリオレ」の売れ行きは好調でした。ポルシェの復活を待ち望んでいた愛好家たちの関心に、改めて火をつけることに成功したのです。この結果を評価するカタチで、ポルシェ首脳陣もシュッツ氏の提案を受け入れ、「911」の販売を継続することを決定しました。

「911カブリオレ」を中心に大きな売り上げを達成したポルシェは、その利益を惜しげもなく新型「911」の開発予算に回し、1984年、ついに販売にこぎつけたのです。それから現在までにポルシェのラインナップは大きく拡大しています。しかし、ポルシェというアイデンティティの頂点に君臨する「911」の存在は、ずっと変わることがありません。

かつて、あるインタビュアーがフェリー・ポルシェ氏に対して、こんな質問を投げかけたことがあったそうです。

「あなたにとって最高のポルシェとは、どのモデルになるでしょうか?」と…すると、その質問に答えたのはフェリー氏の横にいたシュッツ氏でした。そして、「あいにく最高のポルシェは、まだ完成していなくてね…」と語ったそうです。