ひろしの言葉が刺さらない?
受け手の変化が認識された今作

今回特に注目されているのは、しんちゃんの父・野原ひろしの発言で、ひろしといえば「名言製造機」として有名である。

映画『クレしん』シリーズを見る大人のファンは、ひろしの名言と活躍を期待している。ひろしの名言は、水戸黄門で悪役をひれ伏させる印籠と同格の、ファンが求めているお約束である。

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今回の新作映画でも、ひろしらしさを感じさせる熱い言葉がスクリーンから放たれたのだが、これが一部の人たちから「心に響かない」と指摘されている。それはなぜか。

ごく簡単に言ってしまうと、「時代の流れ」である。

ひろし自身のキャラと主張にブレはなく、今年の映画でも“ひろし然”とした姿を示したひろしだったのに対し、それを受け止める観客側では時代の流れによる価値観の変化が起きていて、ひろしに共感しにくくなっていた。“毎年変わらぬひろしらしさ”と“変わっていく人々の価値観”はおそらく少しずつ、気づかれにくい程度に徐々に乖離(かいり)してきていたのだが、そのズレがいよいよ目に見えて認識されたのが今作であった。

野原ひろしというキャラ
世相とリンクした価値観の提示


野原ひろしは35歳、商事会社の係長で、埼玉県春日部市に戸建ての家を持ち、専業主婦の妻と子2人と暮らしていて、いわゆる「平凡なサラリーマン」や「働くお父さんの典型」として描かれてきた。妻以外の女性に鼻の下を伸ばすなどの至らなさが人間くさく、しかしやる時はやる男として、また土壇場において家族を最優先で考えられるパパとして人気を集めてきたのであった。

今回の新作映画の内容は、20年以上前のしんちゃん映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(2001年)と比較して語られることが多い。この作品から生み出されたひろしの名言には次のようなものがある。

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「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 予告編
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「俺の人生はつまらなくなんかない。家族がいる幸せをアンタたちにも分けてあげたいくらいだぜ」

家族愛が込められたこのセリフは、野原ひろしというキャラを端的に物語っている。同作品公開の2001年(平成13年)当時の価値観のマジョリティーは、昭和から引き継がれてきた「仕事で成功すべし」や「男性の第一義は仕事、家族は二の次」といったものであり、ひろしはそこに向かって胸を張って「家族が最も大事」と異を唱えた。その主張がとんがっていたからこそ、ひろしは称賛され、人気となったわけである。

ただしその主張は超先進的というわけでもなく、「国民的映画に登場するキャラがそう主張し始めておかしくない程度の世相」、あるいは「受け手がその主張を肯定する程度の土壌」はすでに整っていた。

だから2001年あたりは、価値観が変わっていった過渡期と見ることもできる。マジョリティーが最重要視すべきだと考えているものが、「仕事」から「家族」へとシフトしていったわけである。

また、ひろしが人気を博したもうひとつの大きな理由は「彼が庶民だったから」である。庶民、すなわち富裕層などに比べれば「持たざる者」が、持っていない物や事に関して卑屈にならず、従来の価値観の圧に屈することなく「大切にすべきものを全力で大切にすべきじゃないか」と主張するさまが格好良く、また“庶民”という同じ目線から放たれた言葉が多くの人を共感させた。

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ひろし、ならびに映画『クレしん』シリーズでほぼ共通したテーマとして扱われるのが「家族愛」や「家族の絆」である。元号のキリが良いので本稿では便宜的にそれらを「令和的価値観」と総称するが、近年、令和的価値観は必ずしも「家族愛が至上」一辺倒ではなくなってきていた。多様性が叫ばれ、家族形成に固執しないライフスタイルや幸せの求め方も一般的になってきた。

結婚のパートナーや子どもが欲しいけれど、それがかなわない人の苦しみや葛藤も、SNSのおかげで共有されている。そのおかげで、多数派の人でもそういう苦しみを身近に感じられるようになり、他人の痛みにより敏感になれている(なろうと思えばなれる)のが現代である。

さらに、格差などの問題がクローズアップされ、社会的弱者にスポットライトが当たりやすくなってきてもいる。全国の平均年収の低下もあって、「かつての平均年収を稼ぐのは今は難しい」と感じられている……これが令和である。

そんな中で野原ひろしが家族愛ばかりを叫び続けるともはや前時代的に映る可能性が出てきている状況で、今年の新作映画(以下『手巻き寿司』)が公開された。

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©臼井儀人/しん次元クレヨンしんちゃん製作委員会
これまでに映画に漂ってきた“平成感”と
どう向き合っていくかの正念場

「貧乏で悲哀まみれ」の含みを持って扱われてきた「平凡なサラリーマンパパ」というこれまでのひろしの立ち位置が、いつの間にか令和ではむしろ「いろいろ持っていて充足している」とみなされるようになっている。それはお分かりいただけるかと思う。

その上、新作映画のストーリーの構造上、ひろしがもはや「持たざる者」側に属さない登場人物の配置となっていた。つまりひろしは「持っている者」ポジションからの発言をすることとなって、さらに共感が得られにくくなっていたのである。

※以下の一段落は、若干のネタバレを含むため、ネタバレを徹底的に避けたい人は飛ばして読み進められたい。

今回の新作映画に登場する、不遇な独身の男性にひろしがエールを送るのだが、その男性に比べてひろしは仕事も家も子どもも持つ、世間的にいう“勝ち組”であるため、「さらに持たざる者:社会的弱者」に向けられたエールが「強者→弱者」の構図を際立たせて、今回のひろしへの疑問の声につながっているようである。

時代の価値観の変化によって“勝ち組”に分類されることも出てきた野原ひろしは、今後共感を得るメッセージを発信しようとするなら、よほど注意しなければならない。なぜなら強者から弱者へのメッセージは、慎重にやらないと、受けてはそこにデリカシーを欠いた傲慢(ごうまん)さを見いだしうるからである。

しかし、意外な展開である。

国民的アニメの中でもしんちゃんは「子どもに見せたくないアニメ」ランキングの類いの常連ランカーで、保守的なサザエさんなどに比べてすごくとがっていて、その分新しい印象があった。

だが、かつての「平均的なサラリーマン」が現在「稼いでいる勝ち組」とみなされることが増えた昨今の世相では、野原ひろしが立脚する「平成の庶民」というポジションが「令和の庶民」からしたらあまり庶民らしく感じられない。そして『クレしん』映画が真っ向から取り扱う“家族愛”が、世の中の価値観の変化によって普遍性を薄れさせ始めている。この二つを主な原因として、『クレしん』が「国民的アニメ映画シリーズ」のカテゴリーから脱落するおそれすら見えてきたのである。

とはいえ、まだ分からない。新作映画でも“家族愛”にもっとも焦点が置かれていたわけではなかった。

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【予告②】『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』8月4日(金)公開
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筆者は子どもたちと見に行ったので、彼らの前で今見たばかりの映画を否定したくはなく、ストーリー展開に違和感を覚えた箇所がいくつかあったが、「子ども向けのギャグアニメだし」と考えて、おおむね楽しく見終えた。

しかしよく考えれば、やはり瑕疵(かし)あるストーリー展開と言え、その隙が今SNSなどでささやかれている「ひろし不信」を招いているのかもしれない。だとすれば、次作ではストーリーの不完全さを改善して、時代に合った形でのひろしを再提示してくれるかもしれない期待も残るわけである。どちらにせよ、ここ2、3年が『しんちゃん』映画にとっての正念場になることには間違いない。

なお、純粋な映画の感想としては、「とても楽しめた」である。3Dになった春日部市の質感は現実味があってワクワクした。3Dになったからこそ従来のギャグ描写がややリアルで、あまりギャグに見えなくなった部分もあったが、客席は何度も子どもたちの爆笑に包まれた。子連れでの鑑賞を勧めたい作品である。

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