光と影を行き来した人生。不本意にも衆人環視の中で生きた人生。そして、アメリカ国民にとって伝説とも言える一家で育ったひとりの女性--リサ・マリー・プレスリーが2023年1月12日木曜日、この世を去りました。55歳の誕生日を数週間後、さらに父親の88回目の誕生日を数日後に控えてのことでした。

彼女の父親の伝記映画『エルヴィス』の賞レースが始まり、オースティン・バトラーがそのサーキットで先頭集団でしのぎを削る中、演じたエルヴィスの声色をずっとひきずっていることも話題になったばかり。そのようにこの家族の物語がここで再び煌めき出した矢先のこと、彼女は亡くなりました。リサ・マリーは父親の美しい顔立ち、ぽってりとした唇、そして重いまぶたを擁した目などさまざまなパーツから父の面影を具(つぶさ)に継承していました。 

彼女の誕生は、若くして一気に成功の階段を駆け上った父親に新たで強靭な目的を与えました。父親は彼女が生まれてからの9年間の大半を彼女の子育てに費やし、その後突然心臓発作に倒れ、この世を去りました。彼女は最終的には彼の遺産を受け継ぎましたが、少しの間スーパースターとしての奇妙な生活とセレブリティとしての孤独もまた受け継いでいたのです。

メンフィスの自宅は美術館となり、父親のスターとしての人格である“エルヴィス”はモノマネ芸人のネタとなりました。また、その残された家族は憶測の種となってタブロイド紙の表紙を飾り、さらにはクールな子どもたちのジョークネタにもなったりもしました。それはまるで、ラインストーンで彩られた偉大すぎる遺産とともにサーカスの中心にいるかのような波乱の人生だったに違いありません。そんな中、この煌びやかな人生を賢明かつ控えめに表現できたのは、かのバズ・ラーマン監督が初めてだったと言えるでしょう。

彼女の死と時を同じくして、別の国の王様の息子が王族としての生活について口を開きました。それはハリー王子。彼は、「そのプレッシャーや秩序、厳しさ、世間の注目の的になることに抵抗があった」と打ち明けていますが、そんなハリーとは違ってリサ・マリーの場合は、「注目されることだけに対処すればよかった」と言えるかもしれません。

彼女の若い頃について知る限りでは、「現実以上に秩序と厳しさがあれば、恩恵を受けることができたかもしれません」と言えるかもしれません。彼女は幼い頃から、ドラッグで自分自身を麻痺させました。若いうち(20歳)にミュージシャンのダニー・キーオ
と結婚し、そして(6年後)若いうちに離婚します。この最初の離婚の数週間後には、別の“キング”と二度目の結婚を果たします。そのキングとは、マイケル・ジャクソンです。

マイケルは1990年代初頭、少年に対する性的虐待の訴訟によって自分に対する非難が渦巻く中、「リサ・マリー・プレスリー以上に、不要な注目や残酷な報道について共感と理解を示してくれる人はいないだろう」と彼女にサポートを求めます。そして彼女は、「彼を救いたい」と考え、2人は1994年5月に結婚。同年9月のVMA(MTV Video Music Awards)で、ぎこちないキスを交わします。そこでマイケルは観客に「これは続かないだろう」と言われますが、そのとおり1年余りあとの1996年1月に二人は離婚することに。その原因は、マイケルの処方薬中毒だったといわれています。

次に彼女は3度目の婚約を破棄したのちの2000年に、パーティーでエルヴィスを崇拝していているニコラス・ケイジと出会い、2002年にリサ・マリーにとって3度目となる結婚をします。ですが数カ月後、リサ・マリーは自分が彼にとっての「トロフィーワイフ(財力と社会的地位を得た男が、自らの成功を誇示するためにめとった誰もが羨むような妻)」に過ぎないのではないかと疑い始め、別れることになりました。

こうしてジャクソンとケイジとの出会いと別れを通じて、90年代の彼女は以前にも増して注目を浴びるようになったのです。しかし、決してそれに満足しているようには見えませんでした。彼女は実によそよそしく、空気が読めず、自分の声で何かを伝えることもなかったのです。

その後、自分の「歌声」を使い始めました。ですが注目度とは裏腹に、デビューアルバムのプロモーションは難しいものでした。2003年に発売された「To Whom It May Concern」は数十万枚を売り上げゴールドディスクに輝いたのですが、不親切なレビューが並びました。ですが正直なところ、ファーストシングル『Lights Out』はアランナ・マイルズの『Black Velvet』のような文化的で一定の価値を擁する作品と言えます。

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Lisa Marie Presley - Lights Out
Lisa Marie Presley - Lights Out thumnail
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彼女はさらに何枚かアルバムを制作し、2012年には12回のグラミー賞に輝く名匠T・ボーン・バーネットのプロデュースのよって「Storm & Grace」をリリースします。今作ではリサ・マリー自身がソング・ライティングしており、彼女自身がより近くに感じられる作風になっていると評されましたが、彼女の心はそこにないようにも思えました。実に不可解なアルバムでもありました。

やがて時は過ぎ、最近のここ数年は彼女はさらなる悲劇に見舞われていました。2020年7月には、彼女の息子ベンジャミンが彼女の家で命を絶ったのです。若くして父親を失うことも心が痛みますが、自身の子どもを失うことはこの上なく人を打ちのめすものです。

その後彼女は、あまり公の場に姿を見せず、会ってもまるで消えていっているかのような雰囲気でした。2023年1月10日火曜日の夜に、オースティン・バトラーが自身の父親に扮することでゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞したとき、彼女はそこにいました。彼女は元気がないように見えた人も少なくなかったでしょう。最悪の喪失感からやっと立ち直ったところに、その最初に感じた最悪の喪失感が大作映画として映像化されたのです。そんな中、再びクールな少年たちのジョークになるような笑顔をカメラに向けたとき、こうなる運命の歯車が動き出したのかもしれません。

彼女の死は、すでにサーカスになっています。80年代にエルヴィスが目撃された場所を確認するために「Weekly World News(※かつて発行されていたタブロイド紙、現在では公式サイトで記事が公開されている)」を手に取った子どもたちと同様に、メンタルが子どもな者たちは「彼女の心停止はワクチンと関連している」と、私たちには知る由もない物語をソーシャルメディアで発信しているのです。

そうして彼女は、33歳の俳優ライリー・キーオ、14歳の双子フィンリー、ハーパー・ロングウッドという3人の子どもと、77歳の母親プリシラ・プレスリーを残して逝ってしまいました。残された者たちが今後、平穏なる生活をおくれることを祈っています。

※この記事は抄訳です

From: Esquire US