1981年夏、それはロイヤルカップルが結婚する1カ月前、イギリスのチャールズ皇太子はレディ・ダイアナ・スペンサー(故ダイアナ元妃)にシルバーの婚約記念品を贈りました。ですが、それは宝石などではありません。フォードのヨーロッパ部門が生産したスモールファミリーカー「エスコート」の、シルバーに輝くセダンです。1.6リッターエンジンを搭載した79馬のこの車は、あらゆる意味で平民的な車でした。

この時代は多くのイギリス国民が緊縮財政にあえいでいた時であり、チャールズ皇太子からのその贈り物は「王室の新しい仲間だからといって、豪勢な買い物ばかりするわけではない」という立派なメッセージを発信していました。

 
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婚約のプレゼントとしてチャールズ皇太子から贈られたフォード「エスコート マークⅡギア」を運転するダイアナ。実はこの車も、その後オークションに出品されました。

そうして時が流れ、ダイアナは数台の車を乗り換えてきました。ここで紹介する1985年式のフォード「エスコートRSターボ」はその中の1台であり、ダイアナにとって2台目となるマイカーです。性能重視のフォードファンなら車体に刻まれたRSの文字を見て、ダイアナの好みがかなり本格的なハッチバックであったことに深い共感を覚えることでしょう。

イギリスでベストセラーとなったフォード「エスコート」

フォード「エスコート」は、1967年に誕生しました。当時のイギリス家庭においてはモダンで賢い選択肢であるとされ、瞬く間にイギリスのベストセラーカーになります。後輪駆動の「マークI」「マークII」と続々と新世代モデルが投入され、ダイアナが選んだのは初の前輪駆動タイプとなった3代目モデル、「エスコート」の「RSターボ」でした。

 
SILVERSTONE AUCTIONS
 
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このモデルは3代目「エスコート」の中でも、最速の1台でした。アルミヘッド、高性能カムシャフト、純正ターボチャージャーにより、出力は132ps・6000rpm、トルクは133ps・3000rpm。現在の基準からすれば決して大きな数字ではないかもしれません。ですが、2000ポンド(約907キログラム)をわずかに超える車重に対して、「エスコートRSターボ」は非常に速い車でした。

平凡で控えめな「エスコート マークⅡギア」から、ダイアナにとって2台目となるフォード「エスコート」の候補車となったのは当初、赤のカブリオレでした。ですが、「当時のロンドン警視庁王室警護部SO14 によって、この車は不適当である」と見なされたと伝えられています。「手動のキャンバスルーフでは、急遽プライバシーを確保すべきときには不利であり、堅牢でもないため安全性の面でも難がある」との判断のようです。

そうして、より目立たない車の購入をすすめられたダイアナは、新しい「エスコート RSターボ 」を選択したそうです。当時販売されていた「エスコート RSターボ」はオールホワイトでしたが、フォードのPR部門はダイアナのためにブラックカラーのRSターボを提案し、この車となったわけです。特殊車両エンジニアリング部門で塗装が施され、警護担当者のための補助バックミラーやグローブボックス内に無線が取り付けられたそうです。無線のケーブルに関しては、現在も車内に残っているとのこと。

 
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ダイアナの2台目として最初の候補になった、フォード「エスコート カブリオレ」。確かに皇太子妃が運転するには、派手な車です。

そして黒に塗られた「エスコートRSターボ」は、ダイアナとその護衛部隊のため3台用意されました。1985年から1988年にかけて、ダイアナはこの車を頻繁に運転し、ウィリアム王子とハリー王子を後部座席に乗せてロンドン市内をドライブする姿がよく目撃されていました。

そしてこのたび、ダイアナが自ら乗っていた「エスコートRSターボ」が、2022年8月27日(月)にシルバーストーンオークションに出品されることが明らかになりました。現段階で歴史的価値から鑑みても、少なくとも日本円で数千万円の値がつくと予想されます。

 
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後部座席にウィリアム王子を乗せるダイアナ。車側面には「RS」と記されています。

おとぎ話のような結婚生活に亀裂が入り始めた頃、このハッチバックはダイアナの自立を象徴する存在でもありました。

当初、モダンでありながら従順な4ドアセダンを駆って、さらに人々に愛されるようになったダイアナ。そんなプリンセスが次に手に入れたのが、この2ドアのホットハッチだったのです。そこには、自らの手でこの荒波を乗り切ろうとする強い決意の表れだったかもしれません。

Source / CAR AND DRIVER
※この翻訳は抄訳です