新しくなったトヨタ「プリウス」。モノフォルムシルエットをデザインコンセプトに、フロントフードとフロントウインドウを一直線につなげ、リアゲートまでスムーズに流れていくフォルムはとてもエモーショナルな印象を放ちます。

車体は低めとなり、見方によってはクーペのような印象にも。従来の「プリウス」に比べて、洗練さと走りの予感を強く感じさせるデザインに仕上がっています。とにかくスタイリッシュで、賛否両論あった先代の印象を見事に拭い去っていると言えるでしょう。

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【PRIUS】開発者インタビュー「Design」
【PRIUS】開発者インタビュー「Design」 thumnail
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これまでは違いました、少なくともここアメリカでは…。車好きを自認する人々に向けて「トヨタの『プリウス』はさぁ…」と車名を口にするだけで、物笑いの種になったものです。さらには、呆れ顔を向けられることもあったかもしれません。

しかしそれも、今となっては過ぎ去りし日の話です。あっという間に人々の視線を釘づけにした新型「プリウス」のスタイリングは、一夜にして最も不人気な車という地位を払拭してくれたのです。

しかし、いくら新型「プリウス」が洗練されているからといって、とってつけたような賞賛の声には白々しさを覚えるというか、やや軽薄な感じさえしてしまいます。そこには、魅力的なルックスをやっと手に入れたタイミングを契機に「これでやっと、敬意を示すに値する車になったのだから、もう嫌わないでやってもいいだろう」といった(ある種の帳尻合わせ? ある種の忖度?的な)雰囲気さえ感じられてしまうのです。

そういった発言の主たちは、「車にとって重要なのはスタイリングだけ」とでも言うつもりなのでしょうか? それとも、ポップアイコンとして価値があるとか、もしくは人気タレントの一言で評価がガラリと変わるとか?

そして実際、そもそも先代までの「プリウス」をあれほど嫌う必要などあったのでしょうか?とも…。

無駄に優等生なだけ。実態は遅くて、ダサくて、苛立たしい車?

かくいう私(※この記事の著者、ケビン・ウィリアムス氏)は、そんな「プリウス」オーナーです。それは中古で購入した第2世代、2009年式のトヨタ「プリウス」ですが、ミスファイア(編集注:エンジンが点火系あるいは燃料系の適合性不良、トラブルなどで着火せず失火を起こす症状)で不穏な音を立てていました。ボコボコと怪しい音です。フロントバンパーは片側が外れて斜め、ヘッドライトは経年劣化で曇っています。タイヤもどこかアンバランスで、すっかり乾いてひび割れていました。前のオーナーからは「欠陥車だよ」とは聞いていましたが、まさか触媒コンバーター(マフラー)が売り飛ばされていたなんて、そんな説明は事前にひと言もありませんでしたし…。

そんなわけでその持ち主、そしておそらく多くの人々の目には、もうスクラップ同然にしか見えない車両だったと思います。灰皿には煙草の吸殻があふれんばかりに詰まったままで、まさに嫌われて当然という状態の1台でした。

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KEVIN WILLIAMS

そもそも「プリウス」は、中型車の「カムリ」とほぼ同等の値段のついた野暮ったいハッチバックです。トヨタはこの車の開発に全身全霊を注ぎ込みましたが、パワートレインは複雑怪奇で、結局わずか110馬力しか出ません。テレビドラマや映画の中で、真面目で道徳的なキャラクターを演出する道具としてハリウッドの脚本家たちに重宝された車ではあったかもしれませんが、どこか鬱陶(うっとう)しくて可愛らしさとは無縁、人を見下したようなところのある車だったかもしれません。

「EVやハイブリッド車の駆動用バッテリーは環境に悪影響を及ぼしかねない」などと、当時は「誤った理解」がされていた車です。「出荷後10年も待たずにバッテリーの重金属を垂れ流し、スクラップ場の土壌を汚染する」、そんな車の代表格と見られたりもしていたのでした。心ない人々が悪意を持って無謀な走りをしてみせた挙句、「プリウス」が実際にいかに不経済な車であるのかを嘲笑う、そんなふうにしてネットで槍玉にあげられることもしばしばでした。

そのような人々にとっての「プリウス」は、遅くて、ダサくて、苛立たしくて、性能は悪いくせに、うたい文句ほど環境に優しくもない、まるで何から何まで悪いことばかりを詰め込んだかのような代物といった扱いを受けていました。存在を認めてはならない車――ときには、そんな憎悪の対象にさえなっていました。

あくまでアンチは一部に過ぎず、しっかりと愛されてきた「プリウス」

ごくごく普通の乗用車であるのに、「これはちょっとひど過ぎる仕打ちだった」とは言えないでしょうか。そもそも、そこまで扱き下ろす必要などあったのでしょうか?

いや、実はそんな話でもなかったのです。実際、「『プリウス』は誰からも好まれない車だった」などというのは、事実誤認もいいところです。当然のことながら、「プリウス」に対する印象もまた人それぞれです。ただメディアによる印象操作の影響は、決して小さくなかったでしょう。「プリウス」と言えば、「小気味よくメカニカルで故障知らずで、さらに燃費に優れた車である」、そんなふうに思っていた人々も多かったはずです。

熱心な車好きの中にだって、同様の意見の人々がいます。あらゆる国々で「プリウス」が、すぐに手に入って使い勝手がいい車種となっている背景にはそれ相応の理由があるのです。確かに、「走行性能が感動的に優れている」とは言えません。ですが、ダイナミズムに欠けるからといって、そのことをもって悪い車であるなどとは言えないはずです。

いにしえのフォルクスワーゲン「ヴァナゴン」や、1970年代のアメリカを席巻した「ランドヨット」のように、走りの面ではイマイチでも、愛された車というのは枚挙に暇がありません。

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KEVIN WILLIAMS

私の手に入れたポンコツの「プリウス」だって、旧オーナーが出品してからわずかたったの18分で、出品者に対する質問やら入札やらが殺到し、値下げ交渉を必死に持ち掛けようとした入札者だって現れました。私がこの1台を落札できたことは、いわば偶然の幸運です。あらかじめ値下げ交渉が認められていなかったのが幸いしたのです。落札希望額をそのまま払って、「煙草の吸殻ごと手に入れるか」もしくは「誰かにみすみすチャンスを譲るか」、そのどちらかしかありませんでした。

実際、購入希望者はかなりの人数に上りました。状態の良し悪しなどそっちのけで、ただ移動の足として車を探し求めるような人々ではなく、「プリウス」愛好家たちが熱い視線を注いでいました。FacebookのマーケットプレイスなどあらゆるSNSに広告を載せ、ジャンク品でもなんでも良いから「プリウス」を探しまくっているような人々です。要は、部品取り車としての需要もあったというわけです。

彼らは「プリウス」の中古車探しに関するハウツーなどを、サイトでまとめたりするような人々です。「嫌われ者」の印象が強い車かもしれませんが、確実な需要があり、またファンだっているのです。

技術の面からも自動車の発展に寄与している!?

フォードや日産といった他メーカーの初期のハイブリッド車は、このトヨタ車を手本として生み出されました。eCVT(編集注:富士重工業<当時:現SUBARU>とオランダのVDT<現Bosch Transmission Technology>が共同開発で実用化した世界初の金属プッシュベルト式無段変速機)のコンセプトも実はCVTではありません。どちらかと言えば、「トヨタのPSD(動力分割機構)がその原型になっている」とも言えるかもしれません。

そのPSDを初めて採用した車こそ、1997年式の初代「プリウス」でした。ホンダの生んだ2シーターのハイブリッド車「インサイト」は、「CR-X」風のルックスとマニュアルミッションによってカルト的な人気を得たかもしれません。ですが、「インサイト」に積まれていたホンダ独自のIMAハイブリッドシステム(統合モーターアシスト)を他の車に流用したところで、ジャーナリストもバイヤーもそれを高く評価したりはしませんでした。軍配は常に、「プリウス」に上がっていたのです。

ところで私の買った「プリウス」ですが、乗れば乗るほど調子が上向き、購入時に故障と聞いていた箇所も最後にはほとんど勝手に直ってしまいました。当初のミスファイアの原因は恐らく、モーターマウントの劣化とインジェクターの詰まりといったところだったのでしょう。実際よりもトラブルを大袈裟に見積もった旧オーナーが、やや慌てたのかもしれません。何度か全開で走らせているうち、インジェクターの詰まりは解消したらしく、パワートレインについてはまるで新品さながらの状態にまで復活しました。

申し訳ありませんが、私には「プリウス」を嫌う理由などわかりません。私の「プリウス」のみならず、ありとあらゆる「プリウス」は物理的にもイメージ的にも、とにかく不当な虐待を受けてきたとしか思えません。ですがこの車は、そんなことなどお構いなしに、まさに逆境など物ともせずに受け流し、楽しくマイペースに自らのなすべき仕事を淡々とこなしてきたのです。

洗練されたスタイリングよりもなによりも、それこそが“賞賛に値する美徳”と言うべきではないでしょうか。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です